「新たな人生」の始まり……は、前代未聞の幕開け!どうなるYoji!?


 
 どうも、こんにちは。お元気ですか?実は3日前、僕はホンジュラスに帰ってきました。
 
 
 
※前回ブログは!⇒【人生、何が起こるか分からない。…だから、楽しい!
 
 
 
 日本に居た時、Lenca(レンカ)の会長に電話したところ、「ホンジュラスに帰ってこい。契約延長したい。」…と告げられました。

 この言葉を信じて…というわけではなく、これまでの僕のブログを読んで下さってる方なら分かるかと思いますが、とにかく「何が起こるか分からない。」のがホンジュラスです。
 
 
 本来なら1、2ヶ月で終わるはずの書類作業も、半年かかりました

 書類作業の費用と言って、お金を騙し取られそうになったこともありました
 
 
 
 何が真実で、何が嘘か、全く分からない国…それがホンジュラスです。
 
 
 
 「ホンジュラスに帰ってこい。契約延長したい。」…このレンカ会長の言葉だって、本当かどうか分かりません。
 
 
 「じゃー何で、騙されるような危険を犯してまで、またホンジュラスに戻ったんだ!?」…こう思われる方もいらっしゃるでしょう。
 
 
 
 しかし……。
 
 
 
 冷静に考えてみて、今、日本に居ても、僕には「チャンス」が無いんです。このまま日本に留まっていても、僕は「日本代表」に近づけない…。

 逆に、ホンジュラスはこれまで、数え切れないほどの「夢」を叶えてくれた国です。自分にあっている。「何か」が起こる、起こせる可能性は、日本より高い。

 それに、例え会長の言葉がでたらめでも、一度そこ(ホンジュラス)に行ってしまえば、僕は、これまで同様、日本代表に近づくための「何か」を掴むまで、とことん行動するでしょう。
 
 つまり、こうしてホンジュラスにまで出てきたら、結果を出すために行動せざるをえない状況(崖っぷち)に自分を追い込める…ということです。

 

 そんなこんなで、今回ホンジュラスに帰ったのも、「絶対」という保障はどこにも無い状況下での決断だったんです。
 
 
 
 …では、そんなリスクと隣り合わせな行動が、なぜできるのか?
 
 
 
 その理由は、「故郷」にあります。
 
 
 
 5月12日の記事「故郷とは何ぞや?」を、覚えていらっしゃるでしょうか?
 
 
 
 …「僕は故郷・広島に良い思い出が無いんです。特に実家と言えば『怒られた』というイメージしか湧いてこない…。」
 
 
 
 …当時、僕はこのように書きました。
 
 
 
 しかし、1年半ぶりに、「プロサッカー選手」になって帰った故郷・広島は、以前とは全く別の姿を僕に見せてくれました。
 
 
 
 みんな、僕が思っていた以上に、僕が「プロサッカー選手」になったことを喜んでくれたんです。
 
 
 
 親は口には出さずとも、喜んでくれてるのが伝わってきました。母ちゃんは、「これでもか!」ってほど、美味い飯を毎日作ってくれました。父ちゃんも、僕が望んでいた全てのことをやってくれました。
 
 
 そして、僕が家族の中でも特に尊敬している、現在、入院中の86歳のおじいちゃんは、僕のホンジュラスでの新聞記事を見せてあげると、「ほう…、良かったね~。凄いじゃない!」…と、満面の笑みを浮かべて喜んでくれました。
 
 おじいちゃんの、あれほど輝くような満面の笑みを見たのは、近年では記憶にありません。その瞬間、
 
 
 
 
 「ああ…。俺はプロになって良かったんだな。本当に良かった…。」と、心の底から感じました。
 
 
 
 
 おじいちゃんの病院のベッドの横の壁には、僕の新聞記事とレンカでの集合写真ポスターを貼ってもらいました。おじいちゃんは、「いつも見とるんじゃけ~。」と言ってました。
 
 レンカの集合写真では、僕があまりにホンジュラス人と同化し過ぎて(笑)、どこに僕がいるか分かり難いのですが、おじいちゃんに、「どこに僕がいるか分かる?」と聞くと、「分かるよ。」と、すぐ指差されました(ドンピシャ!)
 
 
※ホンジュラスの全国紙La Prensa(ラ・プレンサ)に掲載されたインタビュー記事。


 
 
※レンカの集合写真。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 
 
 僕は、おじいちゃんに少しは「生きがい」を与えられたのかもしれません。
 
 「笑顔」があれば何でもできるし、「幸せ」になれます。
 
 だから、あの、おじいちゃんの満面の笑顔を見た時、「このままいったら、100歳まで生きてくれるかもしれない。いや、たとえ100歳まで生きれなくとも、あの『笑顔』があれば、きっと『幸せ』な生活が送れるだろう。」…と思い、安心しました。
 
 「もっともっと、喜ばせたい!」これが、今の僕のモチベーションの1つになっています。
 
 
※世界最高峰の、Yojiのおじいちゃん。

 

※僕はたった1年半、日本を離れただけで、心身共に疲弊し、日本に帰国せずにはいられない状況に陥りました。しかし、おじいちゃんは、生死がかかった「戦争」のために8年間、日本を離れ、そして、生きて日本に帰ってきたのです。半端じゃありません。こんな小さな体で…。これだけでも、僕はおじいちゃんを尊敬します。僕なんか、おじいちゃんの足元にも及びません。おじいちゃん最高!!

 

 以前、広島の実家は、僕にとって「世界で1番、居心地の悪い場所。」…の1つでした。

 しかし、今回、日本に一時帰国し、実家は僕にとって、「世界で1番、居心地の良い場所。」…に変わりました。

 こうして、日本で、たくさんのパワーを充電できたからこそ、再び「リスクと隣り合わせの行動。」を積極的に行えるようになったんです。そして、いよいよ、僕はホンジュラスに旅立ちます。
 
 

※故郷・広島空港にて。さあ、いよいよ出発じゃ!!!(写真は新宿駅前)

 

 広島空港から、羽田空港に到着。実は、成田空港発の飛行機は、その翌日なので、この日は東京の知り合いの家に泊めてもらいました。

 

※東京・新宿歌舞伎町にある、とあるラーメン屋にて。
何じゃこれ!?(2006年日本・東京)

 

※恐る恐る(?)近づいてみます。
2006年7月。Yojiついにホンジュラスに帰る!! 007

 

 そして、翌日。タクシーで品川駅まで行き、そこから成田空港行きの「成田エクスプレス」に乗ります。
 
 実は、タクシーが品川駅に着くのがあと1分、遅かったら、この「成田エクスプレス」には乗れませんでした。ぎりぎりセーフ!!…「運」があります。ホンジュラス行きを、神が導いているのでしょうか?

 

※今回は全て、アメリカン航空です。

 

 日本からアメリカに行く飛行機の中では、隣の席が、何とペルー人となりました。スペイン語圏の南米人!!

 以前の僕は、世界のどこに居ても、中国人、もしくは中国語圏の人を見かけると、何だか家族のような親近感が湧いてきて、話しかけずにはいられませんでした。それが今では、そんな「家族のような親近感」の輪が、スペイン語圏の中南米人にも広がりました。

 このペルー人とは、機内でいろいろ話しをしました。ペルーもサッカーが盛んな国で、彼もサッカーの話になると、凄く熱くなってました。ペルーのサッカーに凄く興味が湧いてきました。確かペルーでプロサッカー選手になった日本人はいなかったような……。
 
 この「日本人初」というのが、ポイント高いんです。だって楽しいし、何より、この年齢で、しかも僕のような選手が日本代表になるためには、人と同じことをしていたのでは、決してなれないからです。

 
 だから僕は、このペルー人に「もし、ペルーでプロサッカー選手になれるチャンスがあれば、連絡してくれ。」と伝え、メールアドレスの交換を行いました。こうして、例え相手が誰でも(マイナスのオーラを持ってる人は別です)、可能性が1%以下でも、少しでも可能性があるなら、とことん行動するのが「Yoji流」です。
 
 ペルーの、あの有名な遺跡「マチュピチュ」の近くでプロサッカー選手になって……ん~!また1つ『夢』が膨らみました!!!

 

 
 
 そんなこんなで、長い長いフライトも楽しみながら終了。ついにホンジュラス・サン・ペドロ・スーラ空港に到着です!!

 入国審査の時、外国人の審査窓口の方に長蛇の列ができていました。ホンジュラス人用の審査窓口の方はガラガラだったのですが、僕は日本人で、当然、「外国人」なので、長蛇の列の方に並ぼうとします。

 しかし、その時、近くに居た役員が僕に話しかけ、「あんた、確かあの日本人GKか!?大丈夫、大丈夫、こっちから入国審査しろ!!」…と、何とガラガラだったホンジュラス人用の審査窓口に連れて行かれたのです!!嘘ん!!!
 
 いや~メチャクチャです。けど、あの長蛇の列に並ばないですんだので、ラッキーでした。
 

 実は、日本に一時帰国する時も、僕のホンジュラス滞在期間が過ぎてることが問題になって、事務室に呼び出され、「罰金を払わない限り、この空港から出られない。帰国できない。」…と止められました。「もうすぐ飛行機が来るから、何とかしてくれ!」と頼むも、全く言うことを聞かない。
 
 
 
 万事休すか…??
 
 
 
 そう思った次の瞬間、その事務に居た役員がいきなり、
 
 
 
 
 「ん!?あんた…ひょっとして、以前、マラトンに居た、日本人GKか!?ん~、よしよし、問題無い!行け!!」…と言って、僕を帰国させてくれたんです。嘘んんんん!!!?
 
 
 
 
 いや~サッカーやってみるもんですね(笑)。本当、何でもありのホンジュラスです!!!

 

 …で、サン・ペドロ・スーラ空港に無事、到着したYoji…。しかし、ここからが、「前代未聞の幕開け」でした。

 まず、マイアミ空港からサン・ペドロ・スーラ空港に送られたはずのYojiの大事な大事なカバンが届いてない!!!えええ!!??こんなこと、前代未聞です!!!

 そのカバンの中には、GKグローブ、サッカーシューズ、GKの練習着などなど、サッカーするのに必要な物全てが、詰め込まれていました。言ってみれば、僕の商売道具です。それが、届いてない!!嘘んん!!?

 係りのねーちゃんに聞くと、「今日は届かない。明日、電話してくれ。」と言われました。そんな~…。

 

 そして翌日、空港に電話します。
 
 電話するとねーちゃんが出て「別の人に聞いてくれ。」と言われ、どこかに電話が転送されます。で、また別のねーちゃんは「別の人に聞いてくれ。」と言い、また転送…で、またまた別のねーちゃんにようやくつながったかと思うと、「まだ、届いてない。」…の一言。
 
 
 一体、どこやねん、俺のカバン!!??
 
 
 
 どうなるYoji!!??
 
 
 
 しかし、「前代未聞の幕開け」は、こんなもんでは終わりません。
 
 
 
 久々に帰ってきた、Progreso(プログレッソ)のYoji家

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 
 
 そのYoji家に近づく、怪しい、2人組…。
 
 
 
 自転車を玄関前に止めた、2人組…。
 
 
 
 鍵を開けた!?
 
 
 
 Yoji家に入って行く!!??
 
 
 
 ん、見知らぬ洗濯物が干してある!!??
 
 
 
 …って、完全に住んでるじゃん、Yoji家に!!??一体、どーいうこと!!??
 
 
 
 正に、前代未聞の事態に困惑するYoji。
 
 
 
 …何やら、この2人組は、レンカの新加入選手らしく、会長の薦めで、ここに2週間前から住んでるらしい…。って、ここ、俺の家じゃろ!!?
 
 
 まだこの家との契約は残ってるし、お金を払ったのも俺だし、この家を探し出したのも、俺。会長は一切関係ない!!それを、俺に断り無しで、別の人を住ませるとは…。一体、どーなってるの!!?
 
 
 …こうしてYojiは、大事な大事なカバンのみならず、何と、家まで失ってしまいました。たった3週間にも満たない日にちを離れただけで、家まで失うホンジュラス…。何と恐ろしい所でしょう(笑)。

 

 ↑先ほど「(笑)」を書きましたが、こんな状況にも関わらず、僕は「(笑)」←の通り、楽しい毎日を過ごしています。
 
 家は無くしましたが、代わりに近所の仲の良いおばちゃんが、Yojiを家に毎日、泊めてくれ、ご飯、洗濯、全ての面倒を見てくれてます。おばちゃん、あなたは「神」ですか…?ありがとう、おばちゃん&その息子、娘たち!!!

 

※「近所のおばちゃん」こと、カルメン。「カメルーン」じゃありません。カルメンは「Yojiは家族の一員だ。」と言って、大歓迎してくれてます。おかげで、こんな状況にも関わらず、最高に楽しい毎日を過ごせています。ありがとう、カルメン!!
 
 …ちなみに、カルメンが着ているのは、日本から持ってきた「浴衣」です。しかし、サイズがデカ過ぎました。僕でも大きいくらいです。おまけに、「帯」も入っていませんでした。けど、喜んでくれたみたいです。
2006年7月。Yojiついにホンジュラスに帰る!! 010

 

※カルメンの息子の、ウィリアムです。彼は身長180cmあるのですが、その彼でも、この浴衣は大きいです。
2006年7月。Yojiついにホンジュラスに帰る!! 012

 

※ウィリアムの部屋の床に布団を敷いてもらい、寝るYoji。意外と快適です!!
2006年7月。Yojiついにホンジュラスに帰る!! 014

 

 …まだまだ「前代未聞」は続きます。
 
 
 サッカーの道具が全て入ったカバンが届かないため、練習できないので、とりあえずはレンカの練習を見学に行きました。すると、そこで会った仲間達に、まるで幽霊でも見るような目で見られました。
 
 
 
 「Yoji!!何で、ここに居るの!!?」
 
 
 
 …日本人の感覚で「一時帰国」と言うと、当たり前ですが、一時的に帰国して、また、こっちに帰って来るのが普通です。
 
 しかし、貧しい国ホンジュラス人の感覚から言うと、「一時帰国」とは、もう2度とこっちに帰って来ないことを意味するようです(例外はありますが)。特に、日本という、地球の裏側に帰って行った者が、もう1度ホンジュラスに帰って来るなんて、誰1人とて、予想してなかったみたいで…。

 だからと言うわけじゃないでしょうが、監督マチャドは、例の「酒飲みGK」をシーズン終了後に解雇した後、新GKを1人加え、さらには、以前の記事でも紹介した「ホンジュラス・ナショナルリーグ(1部リーグ)で15年のプロキャリア」を持つGKコーチを、選手に復帰させ(これも「ありえない!」)、合計3人のGKをすでに揃えていました。
 
 
 監督に、「GKはもうこれ以上いらないのか?」…と聞くと、「だって俺、今3人のGKを持ってるし…。」…と言われました。Yoji大ピンチ!!!
 
 
 しかし、一応、以前、レンカの会長は僕に電話で、「契約延長したい。」…と告げています。早速、会長の所に話し合いに行きます。

 

 …レンカの会長との、久々の再会。「おおおおお!!!Yoji!!!」会長がいきなり、僕に抱きついてきました(会長はホモではありません)。相当、興奮しています。メチャクチャ、嬉しそうです。

 …早速、会長に相談します。「監督が、すでに3人のGKが居るから、Yojiの枠は無いと言っている…。」と僕が切り出した瞬間!!!
 
 
 
 
 「YojiがNo.1GKだ!!俺はYojiと契約する!!監督??誰と契約するかは、会長であるこの俺が決めることだ!!他に3人のGKが居るって??だったら、1人解雇して、Yojiと契約すれば良いじゃないか!!」
 
 
 
 
 …と、興奮ぎみに語り出しました。監督と、会長の言ってることが違うんじゃけど…。ちゃんと意思の疎通はできてないの??

 まあ、会長自身、僕が本当に再びホンジュラスに帰ってくるなんて、予想してなかったみたいだから、仕方ないか…?
 
 
 会長は、僕が帰ってきたのが本当に嬉しかったらしく、他の選手にも、僕がホンジュラスに帰ってくる前日には、「Yojiが明日、帰って来るぞ!!」…って話してたらしく、僕がホンジュラスに帰ってきてからは、いろんな所で、「Yojiが帰って来たーーー!!!今、俺は幸せだ!!!」…って話してるそうです(チームメイトが聞いたそうです)。

 

 ちなみに、会長に「あの~…。俺、家、失ったんですけど…。」と言うと、即答で、「よし!新しい家を探そう!」…と言われました。…って、あんたが奪ったんじゃんか、俺の家!!(笑)
 
 
 
 一体、これから先、Yojiはどうなるのか(笑)??
 
 
 
 こんなに、いろんなことが起こってますが、まだホンジュラスに帰って来て、3日間しか経ってません。早くも、怒涛の展開…。

 

 Yojiのカバンの行方は!?チームとの契約は!!?

 

 その先のことは、誰にも分かりません。

 

 …だからこそ、楽しい!!!

 
 

※今回、ホンジュラスで履くために日本で購入したシューズ。日本代表のGK川口選手に負けじと、日の丸カラーのシューズを購入しました。これで、日本人魂は全開です!!!これを履いてプレーする日は来るのか!?カバンが届き次第です(笑)。
2006年7月。Yojiついにホンジュラスに帰る!! 011

 

※連絡先メールアドレス☟☟☟

 

cafehondurasyoji@hotmail.co.jp

 

 
 
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「新たな人生」の始まり……は、前代未聞の幕開け!どうなるYoji!?」への9件のフィードバック

  1. 携帯からです
    ホンジュラスに帰国?早々、ハプニング続出ですね(^^;)
    読んでる方は、波瀾万丈を楽しませていただけますが(笑)
    数々のトラブルを笑顔で跳ね返していくYojiさんの精神力は並々ならぬモノですね。

    ひとつ心配なのは、日本で体重ちゃんともどりましたか?
    写真で見るとまだやせて見えます。
    ホンジュラスのような国で日本人が暮らすには人一倍体力が必要でしょう!
    しっかり食べてね!

  2. あははははははは★ 失礼にも笑ってしまいました。
    Yojiさん、無事帰国ですね。お元気そうで本当に良かったです。
    他人様の事ながら、一安心いたしました!
    いや~、ホンジュラスへ帰国早々幸先不安な・・・。
    「会長が家を奪った」というのが笑えました。メチャメチャな・・・。
    おじいちゃんの話・・・うちの家も似たような状況で、帰国の度に病院を訪ねるのですが、やっぱり人目も幅からず泣いてしまいます。なので今回のYojiさんの話に、少し涙してしまいました。
    広島がYojiさんにとって、居心地の良い場所となって良かったです。故郷っていいもんでしょう?(笑)
     
    ではまた!! 一日も早く練習に復帰できる事をお祈りしております。

  3. 故郷が「世界で一番 居心地がいい場所」と表現できるようになって嬉しいです。
     
    写真のお祖父さんと写る表情にも、その気持ちがしっかり伝わってきました。
    日本に居た時に沢山の「勇気」と「元気」を蓄えて、ホンジュラスで起こる数々の困難(いや、Yojiさんに言わせると困難ではないみたいですがw)にも立ち向かっていけるんでしょうね。
     
    早く商売道具が届いて、日の丸カラーのスパイクでピッチに立つYojiさんが見たいです!
    次回いい報告を楽しみ待ってますね(^^)
     
     
    そうそう浴衣姿ですが、ど~も浴衣を羽織っただけの様な・・・。
    着物類は自分の丈に合わせてお腹の辺りで織り込んで(正式名:おはしょり)抱帯(かかえおび)で結んで丁度いい長さにするので、写真からすると、カルメンさんが着る位がちょうどいい浴衣のようですね。
    ウィリアムさんでは袖が短すぎで~すw

  4. あああ、本当にyojiさんのブログを読むと心臓が強くないと駄目ですね。
    いつもどんなことを書いてるかなと想像できないね!
     
    笑うところじゃないけど笑います。
     
    頑張ってね!かばんはきっと戻ってくる、部屋も探せる、契約もきっと延長できる。
    と祈ります。

  5. スランプ母さん。
     
    未だにスランプですね(笑) 携帯からのコメントありがとうございます。
     
    僕は大丈夫です。波乱万丈をとことん楽しんで下さい(笑)
     
    体重の件ですが、実は、日本でも思ったほど回復しませんでした。以前なら、朝ご飯2~3杯、昼2~5杯、夜3~5杯以上…食べていたのですが、ホンジュラスで食が細くなったせいか、今回、日本では、この半分程度しか食べられませんでした。さらには、1年半の疲れが半端じゃなくて、日本ではとにかく、とことん休んでました。
     
    けど、逆にホンジュラスに帰ってからは、食欲が以前より増してるので、ホンジュラスの非科学的なハードトレーニングとあわせて、脅威の肉体が完成する可能性があります(笑)。
     
    いつも心配いただき、真にありがとうございます。また遊びに来て下さい。

  6. おかえりなさい!
    ホンジュラスに戻ってきてくれてうれしいです。
    日本-ホンジュラスと日本-中国の距離が違うので、感じ方も違ってくると思いますが、
    再び戻るという決心は、パワーが必要なので。とにかくお疲れ様です!
     
    海外奮闘組としてお互い頑張りましょう!

  7. ホンジュラスに帰っちゃったんだね!はやっ!!
    ってか、すごいビックリな展開。
    何が起こるか分からない国、ホンジュラスってのがすごく伝わりました。
    実家って子供の頃は怒られたイメージしかない人って多いんじゃないかなぁ?
    私もその一人。
    でも、そらが産まれて分かったんだけど、小さい頃はこんなに一生懸命育ててもらったんだなと今になって思うよ。
    若い頃は気づかないけど、30歳くらいになったらだんだん親のありがたみや、戻れる家があるという安心感を分かっていくのかなーって思います。
    カバンは届いたのかな?それが一番心配です・・・^^;

  8. 読んでいるこちらのほうが、ハラハラドキドキ♪
    数々のハプニングを楽しんでいるようにも見える Yojiさんはやっぱりすごい!たくましい!
     
    一度しかない人生は Try&Enjoy!
    次はどんな展開が待っているのでしょうか?ワクワクしちゃいます^^
    楽しみ~♪
     

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