昨夜、W杯前の貴重な親善試合「ドイツVS日本」を、TV観戦しました。
今の僕が居る環境というのは、日本でもなければ、ドイツでもない。アジアでもなければ、ヨーロッパでもない。南米でもアフリカでもない……つまり、「ドイツVS日本」を、周りの情報に左右されず、本当の意味で客観的に見れる、絶好の環境と言えます。
日本でTV観戦すると、実況や解説はどうしても日本びいき、あるいは、日本に対して辛口な発言をするかもしれない。そんな状況でTV観戦すると、おのずと、自分が感じた「試合の感想」も、実況や解説、その他の情報に左右されたものになってしまう恐れがある…。
しかし、ここホンジュラスでTV観戦した場合、実況、解説は共に南米(ホンジュラスは中米です)…つまり、日本ともドイツとも何の関係も無い第3国だから、どちらびいきの実況、解説でもなく、見たままを視聴者に伝えてくれる。僕自身も、見たままを、自分の「試合の感想」として持てる…。
だから、僕は、今回の記事を書くにあたり、日本のウェブサイトで、昨夜の試合「ドイツVS日本」の選評も一切チェックしませんでした。あくまでも自分が感じた、そのままの感想を、今回の記事には書きたいと思います。
※前回ブログは!⇒【例え自分が正しくとも…。結局、辿り着く答えとは?…そして、『ドラマ』はまだ終わらない…】
まず、率直に言って、昨日の日本は、本当に良い試合をしました。昨日の試合には、良い意味でも悪い意味でも、日本人の「日本人らしさ」が詰まっていたと思います。
ドイツのように、大きなことは出来ないけど、日本人の得意とする「細かい技」で、大きなドイツ人を、完全に手玉に取っていた。
「繊細な作業」をさせれば、サッカーの世界に限らず、どの分野においても、世界中で日本の右に出る者はいない。
日本人の持つ「繊細な作業」を得意とする能力は、携帯電話の驚異的な発達…その発達度は、世界第1位の経済大国アメリカの、約5年先をいっている(あくまでも、僕の推測です。だって、僕がアメリカに居た時にアメリカで主流だった携帯は、日本の約5年前の携帯に相当していたから…)。
さらに「日本人らしさ」を体現したのは、FWの高原選手。ドイツのハンブルガーSVに所属しながら不遇な扱いを受けた彼は、そのドイツ相手に、卑怯な手は一切使わず、正当に、実力で、きっちり借りを返しました。
これこそ日本古来の「侍魂」そのもので、あの鬼気迫る2ゴールには、日本人である僕に、異国で同じサッカーという世界で闘う僕に、とてつもなく大きな勇気と希望を与えました。
他にも、随所に「日本人らしさ」が出た試合でした。昨日の試合のドイツは、正直、ダーティーなファールがあまりにも多かった。
僕はドイツ・サッカーの大ファンなのですが、そんな僕にも、見ていて納得できないファールが多くて、「ふざけんな!」と、TV観戦をさせてもらっていた近所のおばちゃんの家で、吠えたほどです(笑)。
ユニフォームが破れるほど汚いファールを受けた柳沢選手…破れたユニフォームという、ファールの動かぬ証拠があるのに、なぜかPKにならない、しかも、柳沢選手にまでイエローカード!?
…加地選手が負傷退場したシーンでも、凄くダーティーなタックルだったのに、イエローカードすら出ない…。
さらには、後半、中村俊輔選手のクロスの折り返しに大黒選手が飛び込んだシーンでも、大黒選手をつぶしたドイツDFのタックルは、ファール…PKを宣告されてもおかしくないプレーに見えた……。
昨日のドイツには、もっともっとイエローカードを出すべきだったと思います。これが日本ではなく、他国が相手なら、試合はもっと険悪なムードになっていた可能性があります。
しかし、その後が、実に日本らしかった。
こういった悪質なファールに対して、日本は悪質なファールで応戦するのではなく、あくまでも、「正々堂々」と闘っていた……執拗に審判に抗議することもなく(親善試合だからってのもあるが)、もくもくと、自分達のサッカーを、スタイルを貫いていた。
そして、日本がファールでドイツ選手を倒した後は、日本人選手がドイツ選手に手を差し伸べ、起こしてあげていた……これぞ「侍魂」そのものではないでしょうか?
昨日の日本の闘い方は、見ていて、すがすがしさ…さえ感じました。そう感じたのは、僕だけではないと思います。
「良くも悪くも、日本人らしさが出ていた…。」の「悪くも」の部分では、日本人の身長の低さ、体格的に劣ってしまう…に付け込まれての失点シーンです。
しかし、あれだけ体格差のあるドイツを相手にロングボール攻撃にあっても、日本選手はまた日本人らしさ「勤勉」を発揮して、けなげに跳ね返していた。本当、その姿には、胸を打たれるものがありましたよ。
長所があれば、短所がある。日本は「体格差」というハンデによって失点してしまいましたが、体格差なんて、そう簡単にどうにかできるものではないのだし、それよりむしろ、日本の長所を出して、サッカー大国ドイツを追い込んだ闘い方の方が、評価されるべきだと思います。日本以外でも、世界中のどの国でも、ホームのドイツを相手に負けないのは、本当、至難の業なんですから。
個人に目を向けると、目だったのはやはり中村俊輔選手。とにかく、大きなドイツ人を、手玉に取っていた。中村選手がボールを持つと、「何かしてくれる!」という期待感が持てます。本当、凄い選手です。
あと、ドイツでは、GKのレーマン選手。彼の活躍が無かったら、日本は歴史的大勝を飾っていた可能性もあります。
前半の中田英寿選手の股間を狙ったシュートを防いだシーンを見て、今、レーマンが「ノッている」ことを、改めて再確認しました。
僕もGKなのでああいう場面は何度か経験があるのですが、あのシーン、レーマン自身も「やられた!」と思ったはずです。けど、結局、シュートは足に当たって、ゴールにはならなかった。
普通なら、あのシュートは入ってると思います。しかし「ノッている」時ってのは、あれが足に当たるんです。自分の意思とは関係なく…。
しかし、そんな「神がかり」的状態にあるレーマンさえも無力にした、高原選手の2ゴールは、だからこそ、より価値があるものだったと言えると思います。
もう一方、気になったのは、日本の守護神、川口能活選手です。失点シーンも川口選手のミスではなく、終始、安定した「及第点」の活躍をしたと思います。
しかし、以前の川口選手は、「うわ、やられた!!」ってシーンを防ぐのが持ち味でした。つまり「及第点」以上の活躍をするのが、川口選手の、他のGKとは違うところだと思っていたんです。
だから、最近、そういう「奇跡的」なセーブがやや見られなくなった川口選手を見て、ちょっと寂しさを感じます。しかし、川口選手の持ち味は、本当に大事な場面での「スーパーセーブ」なので、W杯本番では、必ずや、やってくれると信じてます!!
以前は僕も、ジーコ・ジャパンに対して「懐疑的」でした。それは、トルシエ・ジャパンの頃には有り得なかった、「格下相手の大苦戦」があったからです。
しかし、昨日の試合を見てはっきりしたことは、ジーコ・ジャパンは、相手が強ければ強いほど、その能力を発揮する…ということです。昨年のコンフェデのブラジル戦もそうでした……。
一体、なぜなんだろう??
僕なりにいろいろ考えて辿り着いた答えを、これから述べていきたいと思います。これは、あくまでも僕の「考え方」なので、それが正しいかどうか??…は、また別問題だと、あらかじめご了承下さい。
「ドイツVS日本」をTV観戦して、感じたこと…。 &欧米的「実力」「競争」「論理」主義の、トルシエ・ジャパン。日本的「序列」「終身雇用」主義のジーコ・ジャパン。日本の未来を考えるヒントが、ここにある!?
先日、中国時代の親友から、郵便物が送られてきました(この件に関しては、また後ほど、詳しくブログに書いていきます)。その荷物の中に、日本の数学者、藤原正彦先生の『国家の品格』という本が入ってました。
早速、読破したのですが、その中で藤原先生は「実力、金銭、競争、論理至上主義の欧米…。」と書かれていました。
あ!!
実はこれが、見事にトルシエ・ジャパンに当てはまるのです(トルシエはフランス出身)。
トルシエは、自分が良いと思った様々な選手にチャンスを与え(時には首を切り)、「実力」によって「競争」させるという、「論理的」には非常に分かりやすいチーム作りをしました。そして、「論理」の真髄とも言える「フラット3」という、戦術を標榜し、その「論理」、信念を、決して曲げることはなかった…。
しかし、数学者、藤原先生が言うには「論理には限界がある。」のです。
まず、トルシエが実行した、「実力によって様々な選手を競争させ、ベストなチームを作る。」チーム作り。
これは非常に理にかなっており、論理的にはもちろん正しく、サッカーの世界以外でも、日本社会全体にも、「実力によって競わせ、例え実績があっても、年長者でも、結果が出せなければリストラして、新たな人材を使用する。」…欧米的社会構造が、今日では、当たり前のように「善」として、受け入れられてきました。
しかし、日本社会全体を見てみて、それ(欧米的実力至上主義)によって、日本の経済は繁栄したのでしょうか?
いや、むしろ「年功序列」「終身雇用」があった時代よりも、悪化していると言えるのではないでしょうか?そして、人間にとって最も大事な「心」の部分が、どんどん貧しくなっていってるように感じられます。
僕は1人の選手として、この「実力至上主義」を考えてみたいと思います。プロスポーツの世界ですから、実力によって「ふるい」にかけられるのは当然ですが、例えば、いたずらに選手の地位を脅かし、「実力主義だ!」といって、ふるいにかけるのは、どうでしょうか?
例えば、ドイツのGKオリバー・カーンの例があります。それまでカーンは、もちろん人間ですからミスもありましたが、それ以上に、ドイツの守護神として、大舞台で何度もドイツを救う活躍をしてきました。
それが、クリンスマン新監督の就任により、その地位をいたずらに脅かされ、レーマンとの競争…という状況を作られました。
その後、結局カーンは良いプレーができず、レーマンがドイツの新守護神として任命されましたが、クリンスマンのやり方には、「論理」は通っていても、何か違和感を感じずにはいられませんでした。(クリンスマンはアメリカ滞在期間が長く、家もアメリカにあり、ちょっと「アメリカかぶれ」になってるような気がする。)
以前の記事、「問題大国アメリカ」「アメリカであった良い話し。それでも…。」でも書きましたが、人間を「実力」や「結果」など、目に見えるものでしか評価しないなら、「人間は機械と同じ。」です。
この場合、監督や、会社でいう上司は、選手や社員を、人間としてではなく「1つの駒。機械。」としてしか見てない…ということになります。
こういう社会になってしまうと、例え結果を出しても、人間らしさが感じられない、空しい、空虚感に満ちた世界になってしまいます。
逆に、いたずらに選手や社員の地位を脅かすのではなく、監督、上司が選手、社員と相互に信頼しあえる関係を築くことにより、選手、ひいてはチーム、会社が、「実力」以上の成果をあげることがあるんです。
カーンが以前、神がかり的な活躍をしていたのは、彼がチームの監督、チームメイトから絶大な信頼を受けており、そして、その地位が完全に確立しており、それが、カーンに、実力以上のものを発揮させていたのではないか?…とも思えるんです(もちろん、今のカーンには、年齢的な衰えがあるのも認めますが)。
「実力至上主義による競争で、そのプレッシャーにより、選手は成長し、力を発揮する。」…これも確かに一理ありますが、プレッシャーの中で発揮する力「火事場のくそ力」は、何度も起こるものではなく、むしろ、火事場ばかりでは、人間は壊れてしまいます。
今の日本社会が正にそうです。火事場ばかりでプレッシャーだらけ、精神は不安定、変な犯罪が起こる、自殺者がどんどん増加する……。
そうじゃなく、信頼しあって、安定した精神状態の時、人間は、良いパフォーマンスができるのではないでしょうか?
イタリア代表サッカーチームは、W杯の歴史において、優勝候補の時には期待外れの結果に終わってますが、期待されてない時、つまり、余計なプレッシャーが無く、安定した精神状態の時、良い結果を出してます。
「実力至上主義」が人間らしさを失わせている…。
2002年日韓W杯で、こんなことがありました。
見事に決勝トーナメント進出を果たした、我らが日本代表。しかし、その初戦で、トルコを相手に、まるで感情の無い、機械のような闘いをし、日本は敗れてしまいました。
実力では、トルコがやや上であったのは認めます。しかし、韓国が、チームの団結、最後まで諦めない魂で、実力に勝る相手を次々に打ち負かしたのに対し、日本のトルコ戦の闘いは、見ていて、異様に空しくなる内容でした。
また、「実力至上主義」でいくと、あくまでも、実力通り、論理通りの力しか出ないのではないか?…こう思えました。
つまり、日本の実力が「5」とすると、相手の実力が5以下の場合は、問題無く勝てるが、逆にちょっとでも5以上の場合は、ほとんど無抵抗に破れてしまう…。
それだけが敗因ではないですが、あのトルコ戦では、そういう何だか、人間的でない、機械的な空気を少し感じました。
また「論理の真髄」フラット3も、相手や状況が変われば、当然、通じない場面も生じてくるはずなのですが、フラット3が論理的に正しいと信じたトルシエは、決してそれを変えようとはしませんでした。
ただ、信念を持って、それを最後まで貫くのは非常に大事なことで、それにより結果を出したトルシエ監督は、やはり偉大な監督だと思います。
その意味で、マスコミや評論家から嫌われて、トルシエの出した素晴らしい結果…これまでの日本サッカー界の歴史を全て塗り替える結果(Wユース準優勝、オリンピックベスト8、コンフェデ準優勝、アジア杯楽勝で優勝、W杯ベスト16)が、ちゃんと評価されてないのは、大いに疑問を感じます。もっとトルシエを評価して下さい!!!
…トルシエと全く逆なチーム作りをしたのは、ジーコです。
「欧米的実力、競争、論理至上主義」的トルシエのチーム作りに対し、ジーコのチーム作りは、まるで古き良き日本の「序列」「終身雇用」的なチーム作りに見えます。
必要以上に新選手を招集して競争させず、自分(ジーコ)のチームで結果を出した選手を最大限に信頼し、そこには誰の目から見ても分かるような「序列(以前の日本社会における年功序列のような、ジーコ的、序列)」が存在し、その自分の信じた選手達と、最後まで生死を共にする覚悟を持ってます(以前の日本社会における終身雇用のよう)。
ジーコのチームは、必要以上に(選手間の)競争によるプレッシャーに立たされることもなく、選ばれた選手は、自分達がジーコに信頼されてるのが分かるから、試合では、強豪国相手にも、自信を持って、のびのびプレーしているように見える…。安定した精神状態で試合に臨めてるのが、伝わってくる。
さらには、ジーコはずっと昔から「チームはファミリーだ。」と言い続けてきたように、このジーコのチームには、アットホームな、国全体を包み込んでの、ファミリーのような団結力があるように感じられる。それはまるで、昔の日本社会のようです。
「年功序列」「終身雇用」があって、人間らしさがあって、人と人が信頼しあえて、安定した精神状態があって、能力以上のものを発揮して、世界が驚くような発展を遂げた……。
だから今のジーコ・ジャパンは、格下に苦戦してしまう…という弱点はあるものの、強豪国には、能力「5」以上の、「6」「7」「8」…を発揮する可能性を秘めている…。
何だか、これまでの日本は、サッカーの世界に限らず、全てにおいて、欧米のやり方が正しいと思い込み、何でもかんでも欧米化してきました。自分達の良さ(日本が誇る、様々な伝統、文化など)まで放棄し、人間らしくない、人間味が感じられない社会に変わってきました(まるで僕がアメリカで感じたような雰囲気に、日本もなってきている)。
しかし、サッカーの世界だけを見てみても、ヨーロッパ人と日本人とでは、体格から文化、価値観…全てにおいて全く異なるのであり、それをマネしても、うまくいくはずがありません。
何より、世界で最もW杯を制しているのは、ヨーロッパではなく、南米のブラジルです。マネをするなら、ブラジルのマネをした方が良い。
しかし日本サッカー界では、暗黙の了解のごとく、みながみな、ヨーロッパ方式が正しい…と、それを取り入れてきたように思います。
僕は中米ホンジュラスでプレーしていますが、体格的にも、ヨーロッパより日本人に近いですし、こちら(中南米)のスタイルの方が、日本人にあっているように思います。
もちろん、ヨーロッパの良いところは取り入れていけば良いですが、サッカーに限らず、どの分野においても、欧米に過剰な憧れを抱くような考え方は、良いとは言えないと思います。
長く書き過ぎて、頭がこんがらがってきました(笑)。文章って本当に難しいですね。書いてる内に、段々、自分が伝えたいことと、内容がズレてくることがある。
とにかく、欧米的「実力、競争、論理主義」ではない、ジーコ・ジャパンの、古き良き日本のような「序列」「終身雇用」的なチーム作りは、これからの日本社会においても、何か良いヒントになるんじゃないかな~…と思ったんです。そのためには、2006年W杯で、ジーコ・ジャパンが結果を出さないといけないんですが…。
つい最近まで、ジーコ・ジャパンに対して懐疑的だった僕ですが、ドイツ戦を見て、だんだん考えが変わってきました。これでW杯で日本がボロ負けしたら、また考え方が変わるかも(笑)。
書きたいことは、まだ「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」の山ほどあるのですが、いかんせん、頭がこんがらがってきて、伝えたいことと、ズレてしまう可能性があるので、今日はこの辺にしておきます。
また、何か感じたことがございましたら、コメント下さい!
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日本はWカップ予選リーグで、ブラジルと同じ組ですね。
この記事を見て、日本の戦い方が、すごく楽しみになってきました!
順当に見て、ブラジル・クロアチアが格上な気がしますが、日本がしょっぱなの強国を相手にどれだけ華々しい活躍を見せるか、勝敗を度外視して、楽しみです!
Yojiさん
コメントありがとうございました!これからもお互い頑張りましょう。
中国語についてですが、チャイニーズ(国民の7割)になら問題なく通じます。この方々は福建省、広東省にルーツがある人がほとんどなのですが、学校で中国標準語も習っているのでマンダリンもオッケーです。あと全国民が英語も話せるので英語と中国語が話せたらすぐにでも住めると思いますw
ドイツ戦レポート読みました。トルシエ監督を欧米型資本主義、ジーコ監督を古きよき日本の姿に例えたことには完全に同意です。競争意識によって実力を引き出し、レギュラーを決める。それはレギュラー選抜に最も分かりやすく最も簡潔な方法かもしれません。ただ、ジーコの言う『ファミリー』ではなくサッカーと言う職場に行くだけの人になってしまうのかな。。。と思います。好きなことを仕事にするには勇気がいることだと思いますが、同じようにサッカーをするならジーコのもとで、ファミリーとして、信頼されてプレーしたほうが楽しいんじゃないですかね。
終身雇用、年功序列については、安定した収入などメリットはあると思いますが、今の日本に合っているかといえば弊害になっている部分もあると思います。なぜなら、終身雇用年功序列は、会社が利益を出し続けるということを前提にしているからです。言うまでも無く、隆盛する会社がある中で倒産する会社もたくさんあるわけです。数十年前は、いい会社に入りさえすればあとは定年まで大丈夫。保険や税金は自動的に給料から落ちて、昇給は必ずあって・・・という雇用だったでしょう。それはバブルとかいろいろ要因があってその時代は大丈夫だったというだけです。僕は、今もこのようにいい会社に入りさえすればあとは大丈夫、という発想がとても危険だと思っています。もしも仕事を失ったとき、自分や家族を守れるのか?そのときのためにやれることはたくさんあるはずです。
勝手に書いて長くなってしまいました。。。また僕のブログにも遊びに来てください!
「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」の山ほどっていう文章に一瞬???ってなってしまいました。私も長い文章を読んでこんがらがってしまいました…。(笑)
私は試合を見ていないのでわからないのですが、日本の健闘ぶりがわかりました。
細かい技でとか、正々堂々っていうのは本当に誇りに感じます。
やっぱり日本だ!って感じ。日本精神ですね!!
実力社会で得られる結果も貴重なんでしょうけれど、人間の心、感情って本当に必要なものですよね。それがなくなったらそれは何になるんだろう。心は人間として一番なくしてはならないものだと思います。
ドイツ戦は中国でテレビ観戦しました。解説の人が「日本がドイツを負かしてる。アジアのサッカーが通じてる!」みたいなことを言ってました。「みんな団結してがんばるぞ!」という考え方は私も好きですし、うまくいけばすごい力を発揮することがあるというのはYojiさんと同感です。スポーツにしろ仕事にしろ、日本人しかいないのならこの考え方は全く問題ないし、安心して仕事ができる。日本人にマッチした考え方だと思います。ただ、チームプレーとか共同作業というのが定着していない国でこれをやろうとすると、かなり難しい。大学で、グループに分かれて行う作業のグループリーダーを何回かやったことがあるのですが、たまにグループメンバーの中に、ものすごく自己主張の強い人がいました(中国の学生は日本の学生より全体的に自己主張が激しいと思います)。自分の主張が通らないと作業を放棄するような、そんな人が。グループに一人や二人ならそういう人がいると議論の活性化につながったり、プラスの面もありますが、全部がそういう人だったらと思うと、ゾッとします。理論というのはそういう人を押さえ込むのに使えるのかなとも思います。