サッカーの母国イングランド初上陸!!


 
 どうも!「日本→中国→アメリカ…」の第六弾です!その前に、今いるホンジュラスの状況について書きたいと思います。現在、4日連続で大雨が降ってます!物凄い量です。特に僕が現在、練習に通ってる「プログレッソ」という場所は、緊急事態です。僕が住んでるサン・ペドロ・スーラは一応、大丈夫ですが…。この大雨については後ほど、写真付きで掲載していきたいと思います。
 
 
 
 …と、言うわけで「2005年3月」、イングランドに初上陸しました!イングランドのみならず、ヨーロッパに上陸したのも初めてです。イングランドは「サッカーの母国」。3度目の渡米前には、まさかイングランドに来るなんて予想だにしてなかった…。改めて「人生は何が起こるか分からない。」と思いました。

 
※写真は、オランダ『アムステルダム』→イングランド『マンチェスター』行きの航空チケット。

 
 
※長時間の乗り換え便待ちのため、空港の床で寝るYojiと仲間達。

 
 
 僕が練習参加する事になったイングランドのプロチームの名前は「レクスハム(Wrexham)」と言います。レクスハムは、プーマスの監督が以前プレーしていたチームです。レクスハムは当時、イングランドの2部リーグ所属のチームでした(今は分からない)。「2部リーグ」とは言え、レベルは高いです。当時、日本代表のGK川口能活選手や、MF稲本潤一選手が所属していたのは「1部リーグ」ですから、それを考えると、「2部リーグ」がどれだけのレベルか、だいたい分かっていただけるのではないかと思います。
 

※レクスハムのクラブハウスと、その中。

 
 
 飛行機の長旅はキツかったですが、満喫しました。そしてイングランドに到着した次の日から、早速レクスハムの練習参加です。僕はその練習場に着いた時、正直、驚きました。3、4面はあろうかという、綺麗な芝のグランド。そして立派なクラブハウス…。これが「2部リーグ」のチームの練習場なのでしょうか!?日本のJ1リーグのサッカー環境より良いものを、イングランドの2部リーグのチームは持っている…。こんな場所でサッカーできるなんて…緊張よりも、喜びの方が大きかったです。

 
※レクスハムの練習場。

 
 
 
 初日に、レクスハムのGKコーチは来ませんでした。それでもトップチームの練習に参加し、シュートを受け、充実した練習ができました。1本1本のシュート、センタリングが、初めて体験するレベル…。「これを完璧に止めれるようになれば、日本代表も夢じゃない!」と思うと、非常にやりがいがありました。
 
 
 …2日目。GKコーチがやって来ました。ユーモアの有る、非常に良いGKコーチでした。トップチームとのPK練習の時、僕がGKに入って、キッカーに対して「俺は右に飛ぶぞ!」とハッタリをかまし、実は左に飛んで見事キックをストップした事で、GKコーチから「PKキング」の称号をもらいました(笑)。選手を緊張させるのではなく、リラックスさせ、持ってる能力を最大限に発揮させるGKコーチでした。こんなすばらしいGKコーチと、5月からは毎日、合計3ヶ月間も一緒に練習できる(このGKコーチは5月から3ヶ月間、プーマスの臨時コーチとしてフロリダに来ることになっていた)…。想像するだけでワクワクします!
 
 
 …最終日。トップチームは次の日、公式戦という事で、この日は若手チームとの練習となりました。GKコーチも来ませんでした。ゲームを行い、アジア人GKの指示をなかなか聞いてくれない選手も居ましたが、練習後は得意の(?)「ジャパニーズ・ジョーク」で笑わせ、意気投合しました。
 
 
 練習後はすぐ栄養補給できるよう、クラブハウスで全選手揃っての食事です。タダなので、ここぞとばかりに食べまくりました(笑)。食堂に設置してあるテレビでは、世界のサッカー情報が放送されています。サッカーするには申し分の無い環境です。ここに居る幸せを感じました。そして「5月からフロリダでレクスハムのGKコーチと練習して、またここに戻って来たい…。」と強く思いました。

 
※写真は、レクスハムでの練習風景と、練習後、若手選手たちと記念撮影。

 
 
 
 レクスハム練習参加は3日間のみでしたが、移動なども含め、イングランドには合計約1週間滞在しました。たった1週間とは言え、イングランドで感じた印象は「同じ英語圏の国なのに、アメリカとは全く違う。」という事です。僕は正直言うと、アメリカに対して良い印象を持っていません。人はルーズ、約束は平気で破る、嘘をつく…などなど、アメリカの問題点を挙げたらキリがありません(これに関しては、後ほどもっと詳しく書いていきたい)。それに比べイングランドは、より紳士的であるというか、日本と同じ島国なのもあるのか、人間としての完成度がアメリカ人より高いと思いました。もちろん、長く住んでいけば印象も変わってくるかもしれませんが、第一印象というのも大事です。イングランドは「また来たい!」と思わせてくれる国でした。

 
※写真は、イングランドの街並みと、レクスハムのホームスタジアムにて。

 
 
 
 1週間の「イングランド遠征」を終え、アメリカ・フロリダに帰って来ました。
 
 
 それからはまた、プーマス大学チームの練習と試合を繰り返す毎日です。「ニューヨーク遠征」「イングランド遠征」と立て続けにこなした事で、さすがに疲れが有りました。けど、「5月からレクスハムのGKコーチと練習できる!」という事で、気持ちは前向きです。
 
 
 さらにその5月からは、昨年「ストランク・ジェフリー」という偽名で参加したPDLのシーズンも始まります。3度目の渡米当初、僕はこのPDLに参加する気は全くありませんでした。それは、それまでにプロになり、プロのリーグに参加する…という気持ちが強かったからです。
 
 
 それが、予定していたトライアウトは無くなり、ここまでプロのテストらしいテストは有りませんでした。確かにイングランドではレクスハムに練習参加しましたが、GKコーチは5月からフロリダに来て、そこで僕のプレーを正式に吟味する事になっていたので、言ってみれば、それが僕にとっての「最初にして最大のテスト」という事になります。そのために僕は、「ニューヨーク遠征」の時、僕に興味を持ったアメリカのプロチームに行かず、アマチュアであるプーマスに残る決心をしたのです…。
 
 
 
 5月になりました。レクスハムのGKコーチはまだ来ません。プーマスの監督に聞きました。すると監督は「5月の2週目に来る。」と言いました。
 
 
 
 
 …5月の2週目になりました。まだレクスハムのGKコーチは来ません!!再度、監督に聞きました。すると監督は「あと1週間で来る。」と言いました。
 
 
 
 
 …それから1週間経過しました。まだレクスハムのGKコーチは来ません!!!僕は焦りました。その焦りには理由が有ります。それは「滞在期間」です。僕はビザ無しでアメリカに入ってる為、「6月の中旬」にはアメリカを出なくてはなりません。だから、それまでに何としてでもレクスハムのGKコーチと一緒に練習をして、アピールしなくてはならなかった…。
 
 しかも1月に日本を発ってからここまで、僕はテストらしいテストを受ける事ができませんでした。もしレクスハムのGKコーチが来なかったら、僕はプロテストを受けにわざわざアメリカに来たのに、何もテストを受けないまま、日本に帰国しなければならない…という最悪の状況にもなりかねないのです。それは何がどうあってもできません。それで帰国して、親や友達に何と報告すれば良いのか!?
 
 
 
 
 
 6月に入りました。プーマスの監督から報告が有りました。「レクスハムのGKコーチは我がチームに来ない事になった。」どうも、プーマスの監督とレクスハムとの間でトラブルが有ったらしく、それに怒ったプーマスの監督が「もうGKコーチは来なくてよい!!」とレクスハムに言ったそうです。プーマスとレクスハムの友好関係は、完全に壊れました。
 
 
 
 …当時、僕はすでにこのプーマスの監督に対しての信頼感が全く無くなっており「レクスハムのGKコーチが来ない。」というのも予想の範囲内だったので、それほどショックは有りませんでした。ただ、唯一のチャンス(イングランドでプロサッカー選手になる)が急に閉ざされ、しかも滞在期間の期限もあと3週間と迫っており、焦りはピークにきました。
 
 
 
 さらに僕を困らせたのは、アメリカの持つ「負のパワー」です。日本や中国では有り得なかったトラブルに巻き込まれました。特にプーマスの監督の持つ「負のパワー」は相当なものです。こんな事が有りました…。
 
 試合前、監督の部屋に行くと、監督は意味も無くイライラしています。そして突然、大声で暴言を吐き、持っていたコップを壁にぶん投げてブチ壊しました。試合に行くワゴンの中で、携帯を叩きつけて壊す…という事も有りました。それら全てが、帯同した選手達には一切無関係な問題に対する事への怒りです。「さあ、これから試合だ!勝つぞ!」という気分を台無しにする行為です。
 
 
 …さらに僕を最も困らせたのは「金銭トラブル」です。僕は今までの人生の中で、ただの1度も「金銭トラブル」など有りませんでした。それが、この監督やプーマスを通じて、金銭トラブルに巻き込まれた…。当初、プーマスの選手達は、監督の下で「プーマス・キッズサッカースクール」のコーチのバイトをしてたのですが、その給料を監督はいつまでたっても払わないのです。それに関して監督に問い詰めると「うるせー!ガタガタ金の話をしやがって!」とブチ切れ、お金を僕に対してぶん投げました。アパートの家賃を払ったのに「ルームメイトの支払いが遅れた。」という事で、さらに倍額の家賃を支払わされた事も有りました…。
 
 
 
 …僕はこの監督に対して「感謝」の気持ちを持っています。それは今も変わりません。だから「監督を喜ばせてあげたい。」と思ってプレーしていました。それが、そういう僕にまで、このような「負」の行動をしてくる…。
 
 
 
 さらに数えきれないほどの、アメリカ人、アメリカ在住の人がらみのトラブルに巻き込まれ、僕は本当に傷つきました。とにかく、アメリカの持つ「負のパワー」は言葉で表現できるレベルではありません。
 
 
 「自分が成功するには、この病んだ国アメリカから離れなくてはならない。」
 
 
 …そう心は決まりました。けど、プロのテストも受けてない状況下で、日本に帰国する事はできない。「もう夢は諦めて、大人しく日本に帰国した方が良い。」と言う人もいましたが、それは僕にとってどうしてもできない選択でした。
 
 
 
 
 しかし、他に行く場所が無い…。しかも滞在期間は、2週間、1週間と、どんどん無くなっていく…。本当に、シャレになりませんでした。
 
 
 
 
 そんな苦しい状況下で、僕は必死にチャンスの有る場所を探しました。ルームメイトのホンジュラス人に聞いたり、知り合いを通して元ブラジル代表のライーとコンタクトを取ったり、ネットで調べてエルサルバドルのプロチームにメールしたり、ドイツ人の知り合いに相談して「ドイツ行き」を模索したり…。とにかく、やれる限りの事をやりました。
 
 
 
 
 そして、滞在期間もあと1週間をきったある日…。
 
 
 
 ルームメイトのホンジュラス人から「父のコネクションを使ってホンジュラスのプロチームのテストが受けれるようになった。」と言われ、晴れてアメリカを離れる事となりました。「このままアメリカに居たら、自分は壊れてしまう…」と思っていたので、次に行く場所が全く未知の国「ホンジュラス」であったとは言え、とりあえずホッとしました。
 
 
 
 
 …こうして「2005年6月」。生まれて初めて中米・ホンジュラスの地に足を踏み入れる事となりました。中米自体、生まれて初めてです。
 
 
 
 何が待ってるのか全く想像できない中、ルームメイトから報告を受けたその日には航空チケットを購入し、僕はホンジュラスに旅立ちました…(当時「25歳」)。
 
 
※イングランド。マンチェスターユナイテッドのホームスタジアム『オールド・トラフォード』とその付近。

 
 
 
 つづく
                                                    Yoji
 
 

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2件のコメント

  1. Wrexhamはどうやら「Coca-Cola Football League 2」という3,4部辺りに参加しているみたいです。http://www.wrexhamafc.premiumtv.co.uk/page/Welcomeあのコーチがそこまでとは…。すさまじいっすね。

  2. 波乱万丈のサッカー人生ですね!此れからが楽しみですね。さて、コーチは選手の何を観るか?という問いですが以下の通り。これは指導する年代で大きく異なります。Yoji君の年代ですと”大人のサッカー”ですから全てを完璧に備えていないといけません。スピード、テクニック、戦術の理解度、チームスピリット、キャラクター、運動能力・・。一つでも欠けているとプロとしての活動は厳しくなる事でしょう!!代表ならば全てが平均点以上じゃないといけませんよね。お互いがんばりましょう!

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