※ 秦皇岛の街並み。
<2008年8月6日(水) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日>
こうして、「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」を経て、どうにかこうにかホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である、「秦皇岛」に到着しました。
到着してすぐ、これまでまだ連絡の取れていなかった、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」に電話をかけます。そして…やっとやっと彼と電話がつながりました!!
しかし、彼の口から発せられた言葉は、少なからず僕にショックを与えました…。
「チームとしては、君の存在は大歓迎だ。しかし、これはオリンピックという一大イベント…。セキュリティーがとてつもなく厳しい。公式にチーム内で働くには、北京五輪オフィシャルのIDカードが必要なのだが、試合前日に現地入りした君は、もうこの手続きが間に合わない。このIDカードが無ければ選手の宿泊先や練習場に入る事さえできない…」
…………。
言葉を失いました。「自分のサッカー人生が終わるかもしれない」という覚悟まで決め、途方もなく長い「この国」から秦皇岛までの道のりを経て、ようやく辿り着いたと思ったら、この状況…。しかし、これはごく当然の事です。オリンピックという世界最大級のイベントだから、セキュリティーが半端じゃなく厳しいのは当たり前…。そんなの、「常識」です。
ただ、「中国」と「ホンジュラス」は共に「ありえない!がある!」破天荒な国で、そんな「常識」では考えられないような出来事が度々、起こる事を、過去、僕は現地で生活する中で実際に体験していました。
「この2カ国がコラボレーションすれば、何かが起こる可能性は充分ある…」
そう感じ、あえてリスクを冒して「中国行き」を決断したのです。…しかし、今回ばかりはさすがにどうにもなりません…。「オリンピック」という、とてつもなく大きな壁に跳ね返されました。このままでは、下手したらアミーゴたちに会う事さえできません…。
ただ、ここまで来て、下を向いているわけにはいきません。彼の話によると、「選手の宿泊ホテルに入る事はできないが、門の前で会える可能性はあるかも…」との事だったので、すぐさまそちらに向かいます…。
「せめて、アミーゴたちに会うだけでも…」
この2日間、ハードスケジュール過ぎてほとんど睡眠が取れておらず、時差ボケや空腹も相まって疲労は限界…。そんな僕を支えていたのは、「ホンジュラスへの想い」…ただ、それだけでした。
そして、ついにホンジュラス五輪代表の宿泊ホテル付近に到着!!
ホテルの前は厳重警備がしかれており、例え選手の家族であっても「北京五輪オフィシャルIDカード」が無ければ、一歩たりとも中には入れないという…。しかも、ホテル前の道路は一般車両、一切、立ち入り禁止…。想像以上の警備の厳しさに、驚かされました。
「これじゃあ本当に、アミーゴたちに会う事さえ不可能かも…」
そんな中、見慣れた「青と白」のジャージに身を包んだ数人組みが視界に飛び込んできました…。
「あっ!!ホンジュラスじゃ!!」
ホンジュラス五輪代表のコーチたちでした。向こうも、僕が着ていたホンジュラス代表のユニフォームを見て、興味を示して近付いてきました。アジア人でホンジュラス代表のユニフォームを着て歩いてる人間なんて、いくら広い中国と言えども、僕以外には皆無に等しいですからね…。
このコーチたちとは面識があったわけではありませんが、向こうは「マラトンに居た日本人GK」という事で、僕の事を知っていたようです。いろいろ話し、打ち解けました。…それにしても、中国の地で、ホンジュラスのサッカー関係者と交流する……本当に不思議な感覚がしました。そして、中国で初めてホンジュラス人を見つけた時の、湧き上がる喜び、嬉しさ、安堵、何とも言えない格別な気持ち…。この時の心境を、言葉で説明する事はできません…(涙)。
さらにホテルの前まで歩を進めると、ホンジュラスの新聞記者、ラジオ局などのインタビューを受けている、数人のホンジュラス五輪代表選手&監督と遭遇しました。
キャプテンのヘンドリー・トーマスと会いましたが、彼はドナルド・ゴンサレスのアミーゴで、今回、僕が「ホンジュラス五輪代表を助ける!」という使命を持ってやって来る事を、予め知っていたようです…。
「ドナルドから、話は聞いていたよ」
他の選手たちも一様に、「ああ、あの時の日本人GKかぁ!!」と僕の事が分かったみたいで、話に花が咲きました。…しかも監督のジルベルト・イェルウッドは、ホンジュラス時代に一度、会った事があり、面識があった人物…。ホンジュラス代表の新しいシャツを贈与され、ガッチリと握手を交わしました。
※ ホンジュラス五輪代表監督、ジルベルト・イェルウッドと…(僕が着ているシャツは、先ほど彼から贈与されたもの)。…実はホンジュラス五輪代表は、北中米カリブ海地区予選で優勝を成し遂げた際、彼ではなく、別のコロンビア人監督がチームを率いていました。それが、いつもの「ありえない!がある!」ホンジュラスサッカー協会の意味不明の決断により、五輪初戦の1ヶ月前に、突然、イェルウッドに監督交代…。何でよ!?イェルウッドの監督としての能力がどうこうではなく、せっかく結果を出していたチームに与える、突然の監督交代の影響、そして1ヶ月しか準備期間が与えられなかった新監督…。チームが混乱をきたしていないか、一抹の不安がありました…。
…こうして、やっとやっと中国にて、ホンジュラス五輪代表の面々との対面が実現しました!!…しかし、エミル・マルティネスなど、マラトン時代に共に汗を流したアミーゴたちとは、まだ再会できていません…。早速、エミルに電話をかけます。「ホテル前に到着したぞ!!」…するとエミルは、「おう!今からそっちに向かうわ!」と答えました。あと少しで、エミルとの再会が実現します…。
※ これは、2年前(2006年)にホンジュラスで撮った、エミル・マルティネスとの写真。真ん中はエミルの息子、ヘスス。
エミル・マルティネスと、2年ぶりの再会!!!!!(涙)
※(ちなみに、イェルウッド&エミルが首からぶら下げているのが、例の「北京五輪オフィシャルIDカード」。これがなければ、選手やコーチでさえ、ホテル、練習場、試合会場…一切、立ち入り禁止なのです…)
ホンジュラスのアミーゴと、中国の地で感動の再会…。そこに辿り着くまでの「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」…。さらには今日に至るまでの2年間…ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→「この国」…での苦闘…。さすがに込み上げてくるものがありました。そして、「自分にとって『ホンジュラス』という存在がいかに特別であるか」を、改めて再認識させられました。
この日は結局、都合が合わず、エミル・マルティネス以外のマラトン時代のアミーゴたちとは再会できませんでした。しかし夜には、例の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」との対面が実現し、翌日の試合…「ホンジュラスVSイタリア」のチケットを彼からプレゼントされました。忙しいだけでなく、大事な試合前日でピリピリしている状況にも関わらず、僕のために時間を取り、チケットの手配までしてくれた…。その心遣いが本当に嬉しく、心に染みました…(涙)。
※ これが「2008年8月7日(木) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦」のチケット!!!
「北京五輪オフィシャルIDカードが無いから、ホンジュラス五輪代表のホテルや練習場にさえ入れない」というショックの報告を受け、「下手したら選手たちに会う事も、試合をスタジアムで観戦する事さえもできないかもしれない…」と心配していましたが、こうしてどうにかこうにか、エミル・マルティネスとも再会でき、明日の試合のチケットも入手する事ができました。
五輪の試合のチケットなんて普通、簡単には手に入りそうもないのですが、試合前日に突然やって来たのにも関わらず、何だかんだで「チケット入手」が実現…。これも、僕とホンジュラス…そして中国との「縁」がもたらした奇跡なのかもしれません…。
さあ、いよいよ明日…。ホンジュラス五輪代表の大事な初戦…イタリア戦です!!!
つづく
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オリンピックの壁!これは予想外に高い壁がでてきましたね。
ああ、どうなる?ハラハラ・・・。
あごちさん。
いつもコメントありがとうございます。嬉しい限りです。
>「オリンピックの壁」…さすが「万里の長城」がある国でした。結構、適当なところがある国だと思っていたのですが、国の面子がかかったオリンピックは、さすがに予想以上の厳重警備&セキュリティーでした。
>「ハラハラ」…なるべく、すぐ更新したいと思います。
ありがとうございました。