『中国・天津帰還編 ~その3~』 本当にありがとう…『南開大学』。


 2007年6月12日(火)
 
 「中国・天津帰還・2日目」
 
 
 「百餃園」で昼食をとってから、また、『南開大学』に戻ります!!
 
 
 
 
※これは昔の写真!4年前……2003年。『南開大学』の「漢語言文化学院」前で、クラスメイトと記念撮影。ここで、愉快な先生、クラスメイトと共に、中国語を学びました!!
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 4年後…。
 
 
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※現在!2007年6月12日(火)。何だか、微妙に変わってる!?けど、やはり凄く懐かしい…(涙)。「漢語言文化学院」の看板はどこへ!?
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※これは、昔の写真!4年前……2003年。「漢語言文化学院」での授業風景。(当時23歳)
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※4年前……2003年。授業後、クラスメイトと教室で記念撮影。
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 4年後…。
 
 
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※現在!(27歳) 2007年6月12日(水)。 また、この教室の席に、当時の留学仲間と座ることになろうとは…。感無量…(涙)。
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※これは、昔の写真!4年前……2003年。中国はとにかく、ある日、突然、何の前触れもなく、建物が破壊されます(笑)。そして、物凄いスピードで、新しい建物が建っていくのです…。
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 4年後…。
 
 
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※現在!2007年6月12日(火)。な、何じゃこりゃあ!?こんな巨大な建物まで建ってしまいました!!『南開大学』も、随分と変わったものです。ただ、建物の造りは、かなり雑でした…。
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※現在!2007年6月12日(火)。 上の巨大な建物の中には、こんな物もありました!!「モザイク毛沢東」!!?
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※現在!2007年6月12日(火)。 あ、「漢語言文化学院」!!??こんなところに…。パワーアップしてる…(?)。
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 そして、『南開大学』と言えば……
 
 
 
 「周恩来」
 
 
 
 です。
 
 
 『南開大学』は、「周恩来」の母校です。
 
 
 だから、『南開大学』の中には、「周恩来」の像が建っています。ここの景色は本当に美しく、『南開大学』の中でも、かなりのお勧めスポットであり、自分が好きなスポットでもあります。
 
 
 
※現在!2007年6月12日(火)。 ジャーーン!!これが、「周恩来」の像です!!見よ、この迫力!!
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※現在!2007年6月12日(火)。 「周恩来」の前で、恐れ多くも「周恩来ポーズ」をとって、記念撮影!!
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 とにかく、「3年半ぶり」に天津に帰還して、『南開大学』に行って、「周恩来」の像がまた見れて…。言うこと無しです!!正に、「最高に幸せな時間」!!あ~…また「感動」してきました…(涙)。
 
 
 
 さらに、『南開大学』内を歩いていると、こんな人を発見!!
 
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※現在!2007年6月12日(火)。 「ホァチョー!!」 拳法の特訓!? 彼、写真を撮られることに、かなり照れていました(笑)。なかなか、お茶目じゃん!!
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※現在!!2007年6月12日(火)。 これは、僕が『南開大学』に留学してた時に、住んでいたアパートです!変わってねえーー!!(涙) いやいや、こうしてまたここに戻って来れて、本当に良かったです…(涙)。
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※現在!2007年6月12日(火)。 留学時代の僕の住んでいたアパートのすぐ近くにある、当時の留学仲間の部屋で、談笑!!何気ない光景ですが、僕はこうして「3年半ぶり」に天津に帰還して、当時の留学仲間と談笑できる…という、大変、貴重な、『夢』のような時間を、とことん満喫して、思いっきり「幸せ」を噛み締めていました…。
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※これは、昔の写真!4年前……2003年。 世界各国の「草サッカー仲間」たちと、記念撮影!!
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※昔の写真(2003年)。草サッカーでは、「FW」を務めました!!FKを狙う、Yoji!!(相手は、韓国人チームです。やっぱ草サッカーと言えども、韓国人チームとの対戦は、燃えます!!)
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※昔の写真(2003年)。 横の2人の「帰国」が決定し、この日は、「最後の試合」となりました。この2人は学校でも最高の「ポンヨー」だったので、「別れ」は本当に寂しかったです(涙)。ちなみに、真ん中の人物は、先日の「韓国・釜山旅行編」で登場した、「ソウルから、わざわざ僕に会うために、片道3時間かけて、日帰りで釜山まで来てくれた、熱い『ポンヨー』。」…です!!あの、韓国での「再会」は、実にこの時、以来の「再会」だったのです!!(涙)
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  4年後…。
 
 
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※現在!2007年6月12日(火)。 荒れに荒れ果てた、「草サッカー場」…。ある意味、これぞ本当の「『草』サッカー場」です。校内に人工芝のグランドができたため、この「草サッカー場」の利用者は激減してしまいました。「草サッカー」とは言え、当時、真剣に汗を流したサッカー場がこんなになってて、寂しさと、「時の流れ」を感じました。けど、このサッカー場にまたこうして立つことができて、「当時、自分がいかに『ハングリー精神』をもって『夢』を追いかけていたか…。」改めて感じることができました。それは、本当に大きな大きな「財産」になりました。
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  大学4年生だった、2001~2002年…。「Jリーガー」になるために、手当たり次第で、Jリーグのテストを受けました。しかし、残念ながら、「Jリーガー」になることはできませんでした。
 
 その時、一時は「もう、サッカー辞めよう。」と思いました。
 
 しかし大学卒業後、高校時代の監督に呼ばれ、母校のサッカー部のコーチをすることになりました。最初は「ボールを見るのも嫌。」という状態でしたが、高校生の「純粋」で「ひたむき」な姿勢に心を打たれ、気が付いた時には、再びサッカーに対する「炎」が点火していました。
 
 
 半年間のコーチ業を終え、予定通り、「2002年9月」に、語学留学のため、天津の地へ上陸しました。形上は、「『南開大学』で中国語の勉強をする、語学留学生。」でしたが、サッカーに対する「炎」がすでに再点火していた僕は、天津に上陸してから1週間も経たない内に、中国語も全く話せない状態の中、地元のプロサッカーチーム「天津泰達」へ、直談判に行きました。「俺に、チャンスをくれ。」と…。
 
 しかし、そこで知らされた現実は、あまりにも非情でした。
 
 
 「中国足球(サッカー)協会のルール上、外国人のGKは、リーグに参加できない。」
 
 
 …つまり、中国では「外国人『GK』のリーグ参加を認めない。」という規則があった…ということです。
 
 
 サッカーに対する「炎」が再点火した直後に訪れた、絶望的な状況でした。ショックで言葉を失いました。
 
 
 
 しかし、どうしてもサッカーに対する「炎」は消すことができませんでした。上の写真にもあるように、まずは『南開大学』内にあるグランドに行き、ボコボコのグランドで、「草サッカー」することを始めました。
 
 
 …けど、最初から気持ち良く「草サッカー」していたわけではありません。
 
 
 長い長いサッカー人生の中で、初めて味わう「無所属(サッカーの正式な所属チームが無い)」という、絶望的な状況…。しかも、大学時代は、それなりのレベルでプレーしていた…という、プライドと自信もありました。それが、こうしてボコボコのグランドで、素人同然の人達と一緒に、「遊び」でしかない「草サッカー」という環境でしか、プレーできない…という、屈辱、虚脱感に包まれていました。 「何で俺は、こんな所でサッカーしているのか…??」…と、何度となく自問自答し、空しくなりました。
 
 
 またしても、僕のサッカーに対する「炎」は、「風前の灯」になりました。
 
 
 
 しかし…。
 
 
 
 そんな僕に、「笑顔」と、「もう1度、『夢』に挑戦するパワー」を与えてくれたのが、この『南開大学』と、そこで出合った学生たちだったのです。
 
 
 『南開大学』の中国語の授業では、生まれて初めて、「勉強が楽しい!」と感じました。そして、そこで知り合った世界各国の学生たちとは、みんなで1つになって、中国での生活を「笑顔」で盛り上げていきました。
 
 
 …気が付けば、僕のサッカーに対する「炎」はまた燃え上がり、そして、「無所属」という絶望的な状況の中でも、少しでも自分のプラスにするために、「笑顔」で「草サッカー」に臨んでいる自分がいました。この時、サッカーに対する「炎」が消えなかったからこそ、後にホンジュラスにて、ついについに、念願であった「プロサッカー選手」になれたのだと思っています。
 
 
 このように『南開大学』は、僕の中国留学生活の中で……いや、僕の人生の中で、本当に大きな大きな役割を果たしてくれたのです。その「恩」は、忘れようにも、どうやっても忘れることができません。
 
 
 
 「日本代表」になって、その時の「恩」を返します。
 
 
 必ず、返します!!
 
 
 
 
 つづく

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『中国・天津帰還編 ~その3~』 本当にありがとう…『南開大学』。」への2件のフィードバック

  1. 草ぼうぼうのサッカー場、流れ行く時の寂しさを感じました。
    思い出って、素晴らしいほど、思い返すのが切なくなりますよね。。。でも、その分、もっとすンごい未来が待っているハズ! 過去に負けないだけの楽しい未来を、おたがい実現しましょう!

  2. Zigzagさん。
     
    コメントありがとうございます。中国時代は確かに「最高の思い出」ですが、サッカーの環境には恵まれませんでした。しかし今は、ホンジュラスでプロサッカー選手として契約も果たしたし、価値観というか、目の前の世界、視野が、中国時代とは比較にならないほど、広がりました。だから、むしろ中国時代より、今の方が「幸せ」だと言えます。ただ、中国で過ごした日々は、僕にとって忘れることのできない「宝物」です。思い出せば、切なさより、逆にパワーと元気がみなぎってきます!!Zigzagさんのおっしゃるとおり、お互い、希望に満ちた楽しい未来を実現しましょう!!

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