2007年2月21日(水)
こうして僕は、「ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ」…と、「4カ国」をまたに掛けた、「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、ドナルド・ゴンサレスの待つ、パナマの「Santiago Veraguas(サンティアゴ・べラグアス)」に到着しました。
3日間にも及ぶ壮絶な「ティカ・ブス」の旅は、本当に本当に疲れましたが(特に「凍て付くバス」が…)、「飛行機ではなく、バスの旅を選んで正解だった。」と、心から思いました。じっくり時間をかけて、目的地にジワリジワリと近付いていく「楽しさ」がありましたし、その旅の過程で、「オーストリア人との出会い」など、様々なドラマがありましたからね。こういう貴重な経験ができるなんて、「本当に幸せな人生だ。」と思いました。神様、ありがとう!!
そして、ドナルドとの、1年半ぶりの再会…。これは本当に「感動」しました。「縁」があってマラトンで知り合い、それから1年半後、また「縁」があって、こうしてドナルドの故郷・パナマで再会することができた…。「人生とは、何て素晴らしいんだろう…。」と、感極まる思いでした。
※ドナルドの家。「ホンジュラス最強チーム」オリンピアで「7年」、「ホンジュラスで2番目に強いチーム」マラトンで「2年」…合計「9年間」、「ホンジュラスでプレーして建てた家だ。」と、ドナルドは語っていました。正に、僕が最も尊敬し、目標としている存在「ドナルド・ゴンサレス」…。当分は、ここで、ドナルド・ファミリー(ドナルドと奥さん、2人の子供)と生活することになりました。
※ドナルドと、ドナルドの子供。後ろに顔だけ見えるのが、ドナルドの奥さん。
しかしその後、「サッカー人生最大の修羅場」が待ち受けていようとは、この時の僕は、まだ、知る由もなかったのでした………。
翌日。
2007年2月22日(木)
「パナマ上陸・2日目」
「パナマ上陸」前のドナルドの話では、
「ドナルドを獲得したいパナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)のチームがあるが、ドナルドがそこでプレーする気が無いので、代わりにYojiを推薦する。」
……とのことでした。
しかし、「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、「夢」と「希望」をもってパナマに乗り込んできた僕に待っていたのは、全く予想外な展開でした。
実は、ドナルドの「心境」が急遽、変わり、 ドナルド自身が、そのチームでプレーすることを決断……。
「ドナルドを獲得したいパナマ1部リーグのチームで、ドナルド自身がプレーすることが決まっていた。」
のです。
えっ!!!!!?????
つまり、「Yojiをチームに推薦する。」という話は、消滅してしまっていたのです。
「パナマ上陸・2日目」のこの日、その話を、ドナルド本人より聞かされました。
こうして、早くも「パナマ1部リーグ挑戦」の扉は、閉ざされてしまったのです。
あまりに突然な話で、状況がよく理解できない僕に、さらなる追い討ちが続きます。
実は、「パナマ1部リーグ」の開幕は、翌日なのです!!!!!
よって、
「もう、ほとんどのチームはチーム構成が決まっていて、これから『外国人GK』が必要なチームを探すのは、極めて難しい。せめて、あと1ヶ月は早く、Yojiがパナマに来ていれば……おそらく、チームはすぐ見つかっただろうに……(ドナルド談)」
という状況に追い込まれました。
簡単に説明すると、
「4カ国をまたに掛けた『人生最大の旅』をして、やっとの思いでパナマに上陸してみると、すでにチャンスは消滅していた。」
という状況です。
これには、「笑顔」と「人生を楽しむ」がモットーの僕も、さすがに言葉を失いました。
しかし、「サッカー人生最大の修羅場」は、こんなものでは終わりませんでした。
ドナルドの故郷・サンティアゴ・べラグアスには、「パナマ1部リーグ」のチームがあるとのことです。チーム名は「Atletico Veraguense(アトレティコ・べラグエンセ)」。ドナルドが、アトレティコ・べラグエンセの会長に直接、聞いたところ「これ以上、GKは必要ない。」とのことで、このチームも僕が契約できる可能性は無いのですが、せっかくパナマまで来たので、「『パナマ1部リーグ 』がどんなものか??」……練習参加してみることになりました。
しかし、僕はそこで、「サッカー人生最大のカルチャー・ショック」を受けることになるのでした……。
~~その日の、Yojiの日記には……~~
「2007年2月22日(木)パナマ上陸・2日目。……とんでもない1日となった。午前にドナルドから「チャンス消滅」の話を聞かされ、それでも午後に、一応、『パナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)』がどんなものか……『アトレティコ・べラグエンセ』というチームの練習に参加したのだが……。正直、カルチャー・ショックを受けた。まず、驚くほどに、レベルが低かった。これは、ホンジュラスの3部リーグのレベルと変わらないのでは!!??さらには、環境の悪さも、想像を遥かに超えていた。空気が入ってないボール、炎天下の中、水分補給の水さえ準備されていない……。そして、1番の問題は、フィールドだ。凸凹のズタボロ……。とてもサッカーができるようなフィールドではなかった。これでは、セービングが命のGKは、まともな練習さえできない。今日は軽めの練習で、しかも、フィールドの、それでもまだ芝の状態がマシな部分を使ってGK練習したが、それだけで、スパッツとGKパンツが破れた。レベルの低さや、その他は何とか我慢できても、このフィールドの悪さは、さすがに耐えられない…と思った。いや、『耐えられない』というより、これではGK練習ができない。怪我をしてしまう……。(つづく)」
まさに、「サッカー人生最大の修羅場」でした。
「パナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)」のレベルに関しては、中米で1,2を争う「サッカー伝統国」であるホンジュラスのリーグに比べて、「若干、レベルが劣る。」とは聞いてましたが、まさか、これほどまでとは、さすがに思ってもみませんでした。「これは、ホンジュラスの3部リーグ、いや、アメリカの4部リーグよりも、レベルが落ちるのでは!?」…と、衝撃を受けました。しかも、この日、練習参加した「アトレティコ・べラグエンセ」というチームは、それでも昨年、「パナマ1部リーグ」の中で、4強の一角に食い込むほどの実力を持っていたそうです。これで…??信じられない……。僕には、このチームが「プロ」には、とても見えませんでした。
そして、その「サッカー環境」の劣悪さです。これまでの僕のブログを読んで下さっている方ならお分かりかと思いますが、僕はホンジュラスにて、「犬、馬、牛が乱入するフィールド」「15度、傾いたフィールド」「馬糞だらけのフィールド」……などなど、ありとあらゆる「劣悪な環境」を経験し、それを乗り越えてきた人間です。そんな僕が「耐えられない。」「さすがに、ここでは練習できない。怪我をする。」と思ったのです。この日の「サッカー環境」が、どれほど、凄まじい「修羅場」であったかは、それだけで想像していただけるのではないかと思います。
「パナマ上陸」前に、「夢」と「希望」をもって想像していた、「パナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)」とは、あまりにもかけ離れた現実……。それをこうして目の当たりにし、さすがの僕も、「サッカー人生最大のカルチャー・ショック」を受けずにはいられませんでした。「人生最大の旅(なのに片道6000円)」の疲労も、そのショックを増大させました。
~~その日の、Yojiの日記…(つづき)~~
「……今日は正直、『日本に帰りたい。』と、本気で思った。仮に『契約したい。』というチームがパナマで現れても、サインせずに、日本に帰りたくなるほどの心境だった。」
…………………………………………………
「とうとう、ここまできたか…。」と思いました。
僕は以前からブログに書いてきたように、「ジャマイカ挑戦」の途中から、「流れ」と「タイミング」が微妙に噛み合ってないのを、肌で感じていました。「流れ」と「タイミング」が悪いのに、「成功」するなんて、不可能です。だから、この3ヶ月間は、本気で「今は、日本に帰国して、静養すべきか??」と、度々、考えてきました。
それでも結局は日本に帰国せず、「ジャマイカ挑戦」の後は、「ホンジュラス1部リーグ」のチーム「ウニベルシダ」の練習に参加し、今回は「パナマ挑戦」に踏み切りました。もちろん、やるからには「必ず成功してやる!」と思ってやってきましたが………行き着いた先は………
「サッカー人生最大の修羅場」
だったのです。
「『流れ』と『タイミング』が悪い時に行動しても、良い結果は出ない……いや、むしろ、状況を悪化させることさえある………。」
これは、やはり本当でした。今回、僕は、自分の身をもって「人生の実験」を行い(「流れ」「タイミング」が悪い中でも、「挑戦」「行動」を続け)、そのことが、はっきりしました。
「ジャマイカ挑戦」の途中から続く、「流れ」と「タイミング」の悪さ、噛み合わない歯車……。いや、もっと言えば、2005年12月にレンカと契約した後から起こった、1年間にも及ぶ泥沼化した「書類問題」(結局、解決しなかった)などを経ての、今回、パナマで味わった、「サッカー人生最大の修羅場」……。
この日、僕は、本気で、
「これは神様が、『日本に帰れ。』と言っているのではないだろうか?……いや、もしかしたら神様は、『もう、サッカー辞めろ。』と言っているのではないだろうか?」
と、真剣に考えました。
「ジャマイカ挑戦」は、自分自身が本当に「やりたい」と思えることだったからこそ、最後の最後まで…「リミット0日間」という絶体絶命の状況に陥っても、挑戦し続けることができました。実際、その中で数え切れないほどのものを得て、可能性も「1%」残しました。
「ジャマイカ挑戦」の後、「ホンジュラス1部リーグ」のチーム「ウニベルシダ」に練習参加した時も、すでに合流した時には「外国人GK」が他に居て、僕が契約できる可能性は「0%」に近かったけど、自分自身が本当に「やりたい」と思えることだったからこそ、また、「成長できる」と思えるものがそこにはあったからこそ、最後の最後まで、挑戦し続けることができました。 それで実際、かなり成長することができましたし、得るものもたくさんありました。
しかし、今回の「パナマ挑戦」に関しては、上陸してみたら「チャンス」がすでに消滅していた上に、どう考えても、自分自身が「やりたい」と思えるような場所ではありませんでした。「成功」のキーポイントは、自分自身が「やりたい」と思えることかどうかです。「やりたい」と思えないことには、さすがの僕でも挑戦することはできません(ましてや、チャンスすら消滅していて、挑戦することさえできない)。
………………………………………………………
僕は、今回の「パナマ挑戦」に、「終止符」を打つことを決断しました。
パナマに上陸してから、わずかに「2日目」の出来事でした。
しかし、僕はそれでも、今回「パナマ挑戦」に踏み切って正解だったと、心から思いました。なぜなら、こうして実際、パナマに上陸していなければ、パナマ・サッカーの実態も分からなかったわけで、一生「ああ、やっぱパナマに挑戦していれば…。」と気になっていた可能性もあったからです。もう、パナマ・サッカーの実態が分かったので、心置きなく日本に帰れます。それに、今回こうして「パナマ挑戦」に踏み切ったことで、「人生最大の旅(なのに片道6000円)」や、「ドナルドとの1年半ぶりの感動の再会」など、数々の貴重な体験ができました。僕は、それだけでも、「パナマに来た価値は充分にあった…。」と、本当に「幸せ」を感じています。
………………………………………………………
………………………………………………
………………………………………
ここまできたら、もう開き直って、作戦変更です。
当初の目的、「パナマ挑戦」から………
「パナマ観光」に、目的を変更しました!!!!!
こうなったら、パナマでサッカーするのはもうやめて、とことん、パナマでの生活を楽しんでやろうと…。
せっかくパナマに来たんだから、2,3週間、いろんなところを観光して………
そして………
日本に帰ろうと………。
僕は「サッカーを生きている。」のではなく、「人生を生きている。」と思っています。
だから、例え「サッカー」でうまくいかないことがあっても、今、目の前で起こっていること……パナマに「縁」があって来て、ドナルドと1年半ぶりの「感動」の再会を果たし、日本に居ては絶対に有り得ない、数々の貴重な体験をしていることに、心から「幸せ」を感じ、「楽しみ」ます。「サッカー」でうまくいかないことがあって、そのせいで、人生に「幸せ」を感じることができず、「楽しめ」ないようになったら…、人生をだいぶ損しているような気がして仕方がないのです。「サッカー」以外にも、「人生」には、こんなにも素晴らしいことがたくさんあるのですから……。
それに、これまでの人生の中で、本当にありとあらゆる「修羅場」を経験してきましたから、もう何が起こっても、一晩寝れば、気持ちが切り換わっている自分がいます。どんな状況に陥ろうと、「苦しむ」のではなく、自然と「楽しんでいる」自分がいます。まあ、いろんなことが起これば起こるほど、ブログのネタにもなりますからね(笑)。
修羅場は「苦しむ」ものではなく、「楽しむ」ものじゃぁ!!!!!
そしてこの後、この「楽しむ」心が、思いもよらない「縁」を、また引き寄せていくのでした………。
つづく
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こも・エッタ・ウッテ???パナマ人は、Sの発音が出来ません。バモ・プエ!!!
壮絶な4日間ですね!とにかく無事でなによりです。僕も昨日、オマーンから帰国しました。
時間にルーズなオマーン人ですが、名高い「オマーン国際競技場」以外にも、首都にはいたるところに立派なサッカー場がありました。
もしパナマがダメなら、中東はいかがでしょうか、食事は365日同じものですが(笑)
カルロス2007さん。
コメントありがとうございます。パナマ人のスペイン語は、ホンジュラス人のものとは、若干、違いますね。Sの発音ができない…というのは、新たな発見でした。今度から、そこに注意して聞いてみます!では!
Zigzagさん。
オマーンから帰って来て、疲れがある中、わざわざコメントをいただき、嬉しい限りです。ありがとうございます。オマーンも含め、中東は「オイルマネー」で潤ってます(笑)。サッカーの世界でも、金にものを言わせて、とんでもない大物を次々、獲得しています。中東サッカー…興味はありますね。機会があれば、サッカー人生の中で一度はぜひ挑戦してみたいですね(笑)。それでは、ゆっくり疲れを癒して下さい!
すごい展開。観光楽しもう!って思える頭の柔らかさがすごいです。
Yojiさんにしたら、もうそれしか方法がないっていう状況だったのかもしれませんが。でも、そうやって楽しめる人だけが感じられる生きている幸せってあると思います。大事なのはそこなのかなって最近よく思っています。
asiandreamさん。
コメントありがとうございます。今はちゃんと、ブログ開けるようになってますか?
さすがに、思考が深いですね、asiandreamさんは!!
今回、「パナマ観光」と割り切った経緯は、「パナマ」だけではなく、「ジャマイカ」から続く、一連の「流れ」の中で起こった心境の変化です。それでもまだ、「パナマ」が本当に自分の「やりたい」ものがあるなら、どんな修羅場に陥っても、今までどおり「行動」を続けられますが、記事にも書いたように、(サッカー面では)決してそう思えるような場所じゃなかったので、自然と「じゃあ、観光ってことにしよう。」と気持ちが切り換わりました。「観光」と思えば、こんな「おもろい」経験、なかなか無いですよ!!(笑)
それでは、本当にコメントありがとうございました!!嬉しかったです!!
今実は、日本に帰るか天津に残るかすごく迷っています。だって失恋もしちゃったし~と超軟弱な考えもあり…そして、日本でもチャンスはあるしとか…。
でも、ある人の「それでいいの?何のために中国来たの?これまでの3年意味無いじゃん」という一言で、また気持ちはチャレンジしようかなと思い始めています。(私にとって、日本に帰ることは仕事もあるのでまったく勇気は必要ありません。)今まで、Yojiさんが数々の困難にぶち当たっても頑張ってきた姿を見て、感動と尊敬をするとともに理解できない部分も結構ありました。『この人をここまで動かすものは何?』とか『1人で寂しくないの?ここまで頑張れる?』って。目標が明確だからかなとも思いましたが、今は別の見方もしています。うまく表現できないのですが…。私は元々挑戦したがりな方ですが、今回知り合いに刺激されてそういう気持ちを思い出して。1人で寂しい気持ちはものすごくありますが、「チャレンジしたいな」と思った時点で、寂しいことは大した問題にならなくなりますね。勝手にYojiさんもそうなのかなあと思ったりしました。バスの移動で何カ国も渡って目的地に着いたり…そんなことしたらもう、怖いものないですよね!
asiandreamさん。
再度、コメントあいがとうございます。asiandreamさんの大変、熱い気持ちが伝わってきました。それだけでも「asiandreamさんは、必ず成功する。」と感じました。
僕も同じようなことで悩みました。「このまま海外での挑戦を続けるのか?日本に(一時)帰国するか?」ちょっと前のブログ記事を見てもらえれば、詳しくその時の心境を書いております。
僕の場合、asiandreamさんと違うのは、僕には「日本でのチャンス」は、現時点では「無い」ことです。もちろん、強引に探せばいろんなチャンスが出てくる可能性もあるのでしょうが、「ジャマイカ挑戦」がそうだったように、強引に行動すれば成功する…というものではありません。僕としては、もう絶対に日本では失敗できませんし(大学卒業前、Jリーグに挑戦し、失敗)、それに、次、故郷でプレーする時には、「故郷から必要とされて、プレーしたい。」というのがありますので、そこが、日本に帰国するのをためらう理由の1つです。また、単なる「一時帰国」でも、サッカー選手は練習環境が無ければ、どんどんコンディションが落ちていきますし、現時点の僕には、日本でその「サッカー環境」が無いことから、それが、「一時帰国」でさえためらう理由の1つとなっています。
僕をここまで動かすものは??…僕でもよく分かりません(笑)。しかし、1つだけ言えることがあります。それは、「日本代表を目指してサッカーする。」ということが、「自分の人生を賭けてでも挑戦したいことだ。」ということです。
僕は強い人間じゃありません。むしろ弱いです。自分が「やりたい」と心から思えないことには、挑戦することはできません。今回の「パナマ挑戦」を断念した経緯を見てもらえれば、分かるかと思います。
だから、大事なのは、非常にシンプルで、自分が「やりたい」と思えることかどうか…だと思います。
「1人で寂しくないのですか?」とのことですが、僕にとって、海外で1人で生活・挑戦することよりも遥かに「寂しい」ことは、自分がやっとの思いで「結果」を出したのに、案外、周りの人には「喜び」を与えられてないことです。「俺がプロになっても、別に喜ぶ人はいないのか…。」と、この時、最も「寂しさ」を感じます。
asiandreamさんの知り合いは「何のために中国に来たの?3年間、意味無いじゃん?」と言われたらしいですが、僕はそうは考えません。asiandreamさんが、「日本に帰国する。」を選択しても、「中国に残る。」を選択しても、どちらにしても、asiandreamさんが中国で3年間培ってきたことは、必ず生きるからです。
僕は「海外」に対する未練は全く無く、むしろ「故郷」に対する深い愛があり、「日本でプレーしたい。」「故郷に恩返ししたい。」という気持ちを常に持っています。しかし、現時点ではその「チャンス」が無いのがジレンマで、また、それも自分の「能力」だと認めています。
asiandreamさんは僕と違って、自分自身の「能力」で、故郷・日本での「チャンス」も掴んでいます。後は、心から自分が「やりたい」と思える方を選択するだけだと思います。
今のasiandreamさんの状況は、非常に恵まれていると思います。
asiandreamさんが、心から「幸せ」を感じられる毎日を送れることを、心より祈っています。
長くなりました。またいつでも遊びに来て下さい!!