先日、日本の実家から送られてきた荷物の中に、「ALWAYS 三丁目の夕日」…という映画のDVDが入っていました。「金曜ロードショー」で放送されたものを、録画したようです。
ジェフ千葉ファンの僕に、「浦和レッズ優勝記念」の本を送ってくるなど、その「センス」に疑問符の付く親ですが(笑)、今回のこの、「ALWAYS 三丁目の夕日」は、予想外の大ヒットでした!!!!!
これは、おもろい!!!!!!
久々に、胸を熱くする映画でした!!!!!
思えば、僕が少年時代というのは、「近未来」をテーマにした映画や漫画が多かったような気がします。当時の人々は、「近未来」に対する「憧れ」が、物凄く強かったんだと思います。「ドラえもん」が、その典型例ですよね。逆に、「崩壊した近未来」をテーマにした作品も多かったように思います。「北斗の拳」や「ターミネーター」などが、それに当たると思います。
僕も小さい頃、「近未来」に対して、凄く興味と憧れを持っていました。しかし、実際、今、「近未来」になってみると、確かに「物質的」には豊かになりましたが、「心」の部分が貧しくなり、「人と人との人間らしい交流」も減り、「笑顔」になろうにも、なかなかなれない、何だか、心にポッカリ穴が開いてしまったような……そんな「閉鎖的」な空気が、日本を包み込んでしまったかのように思います。僕は中国留学から一時日本に帰国した際、東京の電車に乗って、乗客の死んだような表情を見た時、本当に寂しくなりました。
しかし……。
日本にも、毎日が「活気」に溢れ、「夢」と「希望」と「感動」に満ちていた時代があったんですね!!!!
「ALWAYS 三丁目の夕日」を見て、改めてそう思いました!!!!
この映画の中で、印象に残っているシーンはたくさんあるのですが、特に印象に残っているシーンや言葉は………
~その1~ ……「ライスカレー」……昔は、「カレーライス」のことを、「ライスカレー」って呼んでいたんですね!!
~その2~ ……「ビルジング」………「ビルディング」のことを、「ビルジング」って呼んでいたんですね!!確か、小さい頃、おじいちゃんから「戦争中は、外来語を使ってはいけなかった。」と聞いたことがあります。車の部品の名前…「ハンドル」って言葉だって使ってはいけず、日本語で表現していたとか…。そんな中、戦後からこのように「外来語」が使われ始め、人々は混乱しながらも外来語を話し、今とはまた違った発音で呼ばれていたのか~…と、勝手に当時の情景を想像してしまいました。
~その3~ ……「テレビ初登場」……テレビの初登場はもちろんのこと、そのテレビ一台に、近所の人達が全員集まって、食い入るように見つめている光景が、印象に残りました。あの頃は、こうやって近所の人との「距離」が近かったんだな~…と思いました。これがもし、今の時代なら、テレビを手に入れても、近所の人には内緒で、こっそり自分の部屋に閉じこもって見るのでは……??…などと、想像しました。「家族」はもちろん、「近所の人々」「地域」などの、「共同体」としての「信頼感」「友情」なども、あの時代には存在したんですね!!…アメリカの悪影響を受けたかのような、現代日本の「個人主義的社会」とは、全く違う、「人情」溢れる「人と人との交流」に、感動しました。
~その4~ ……「夫に敬語を使う、奥さん。」……「鈴木オート」の社長の奥さんは、社長(夫)に対して、敬語を使っていました。昔の夫婦は、こういう感じだったのでしょうか??それくらい、家の中で「父権」が強く存在したんですね。
~その5~ ……「頑固オヤジ」……「鈴木オート」の社長さんが、ブチキレるシーンがたびたび出てきました。あれは、「昭和の頑固オヤジ」を表現していたんだと思います。そう言えば、僕の父も、昔はよくブチキレていました(笑)。僕の中では、自分の父は、「鈴木オート」の社長の20倍は怖かったです(涙)。「鈴木オート」社長の子供は、まだ普段は普通に父と交流できていますが、僕の父は、あまりに怖くて「悪魔」に見えて、話しかけることさえできなかったほどです(涙)。小さい頃、ファミコンしている最中、兄とケンカになってしまい、それに父がブチキレ、ファミコンのコードを引きちぎってしまったことがありました。しかしその後、そのファミコンがいとこから借りたものであったため、父は夜な夜な、ファミコンを自力で修理し、引きちぎったコードを、つなげてしまいました。ファミコンを壊すのも「ありえない」ですが、壊したファミコンを自力で直すのも「ありえない」と思いました(笑)。また小学時代、夏休みの宿題帳を父と共に勉強していた時、隣に座っている父のあまりの「プレッシャー」のため、問題がなかなか解けなかったら、「こんな問題もできんのかーー!!!」とブチキレ、宿題帳を真っ二つに引き裂いてしまいました。そして、父の言い残したセリフは、「学校の先生には、妹(当時まだ赤ちゃん)が宿題帳を破ってしまった…と言え。」…でした(笑)。当時の僕には、父が「鬼」に見えました(涙)。しかし、当時、赤ちゃんだった妹に、あの宿題帳を真っ二つに引き裂くほどの力が無いことは、どんな人でも、冷静に考えれば分かるはずです(笑)。また、近年になり、妹にこの話をしたところ「父さん、ヒドイ!」と怒っていました(笑)。…まあ、もう時効ですかね?(笑)
そう言えば、普段は温厚なおじいちゃんも、たまに怒ると、手が付けられませんでした。幼少時代、「温厚」なおじいちゃんと車に乗っていた際、僕が不覚にも「放屁」してしまい、それに対しておじいちゃんが、いきなりそれまでの「笑顔」が豹変して「鬼」の形相になり、
「何、下品なことしとるんじゃーーーーー!!!!出て行け!!!!」
と、車の外に放り出されそうになったことがありました(笑)。けど、当時、おじいちゃんがよく「放屁」しているところを目撃していた僕は、「何でワシだけが…。」と思ったものです(笑)。また、そのおじいちゃんの「放屁」に関して、小学生の頃、毎日、学校の先生に提出していた日記に、「僕のおじいちゃん。」という題名で、「おじいちゃんの屁は凄いです。」と、「ぶーぶぶぶぶぶぶーぶぶぶーぶぶぶぶー……」と、屁の効果音だけで、ほぼ丸々1ページ書いて、学校の先生に提出したところ、それを見たおじいちゃんは、「あんた、日記にはそんなこと書きんさんなや!!」と、怒る…というより、恥ずかしがっていました(笑)。ちなみに、「僕のおばあちゃん。」「僕のお父さん。」という題名の日記も書き、同様に、「屁」にまつわる話を書きました(笑)。「その中でも、特におじいちゃんの屁が凄いです。」ということを強調して書きました(笑)。家族はみんな怒っていました(笑)。
その父とおじいちゃんが、一度、取っ組み合いのケンカをしたことがあって、幼少時代の僕の目には、まるで「ゴジラVSキングギドラ」の対決に見えました。もはや、誰にも止めることができません(笑)。ただただ、とばっちりを受けないよう、部屋の片隅に隠れるしかありませんでした(笑)。
……話は少しそれましたが(笑)、父も、おじいちゃんも、良くも悪くも、典型的な「昭和の頑固オヤジ」だったのかもしれないな……と、この映画を見て、少し納得しました。……あまり怒り過ぎるのもどうかと思いますが(笑)、前述した「父権」は、ある程度、あった方が、一本スジが通った家族になるのかな~…とも思いました。「祖父権」もそうです。現代社会のように、夫も、子供も、父も、母も、じいちゃんばあちゃんも…「友達」のような関係なのも、良し悪しかもしれないな~…と感じました。ある程度の「父権」プラス、家族間での、強い「絆」と「信頼関係」が大切なんだな~…と、この映画を見て、改めて思いました。
~その6~ ……「ドア開けっ放しで寝ている。」……「茶川先生」は、ドアを開けっ放しで寝ていました。現代の日本では、考えられないことです。鍵をかけていたって、ドアを壊して家に侵入して、犯罪を犯す人が多発しています。しかし、昔は、「ドア開けっ放しで寝ている。」…でも、大丈夫だったんですね!!「世界一安全な日本」という神話は、本当だったんですね!!!…今の日本は、一体、どうしてこんなになってしまったのでしょうか??
~その7~ ……「田舎のことを、『国』と言う。」……「国に帰ってしまえ!!」「お国の言葉は大事にしなさい。」…田舎のことを、「国」と言ってました。当時の人にとっては、東京と、その他の地方というのは、正に「海外」くらい、別世界の感覚だったんですかね??僕も大学入学に伴い、初めて東京に行った時は、「東京は異世界じゃ。周りの人間は、全員、敵じゃ。油断してると、やられる…。」くらいの気持ちをもっていたものです(笑)。当時の人は、その時の僕以上の感情をもっていたのでしょう。
この映画を見て感じた、当時の日本の「エネルギー」や、「人と人との、人間らしい交流」、「笑顔」、「情熱」、「絆」、「夢」、「感動」……などは、僕が中国やホンジュラスで感じたものと、似たところがありました。…しかし、似てはいても、やはり違いますね。やっぱり日本は、他のどの国とも違う、日本独自の、素晴らしい魅力があることを、この映画を見て再確認しました!!!
「近未来」をテーマにした映画や漫画が多かった一時期に比べ、近年は、この「ALWAYS 三丁目の夕日」を始め、「パッチギ」や、その他たくさんの、「戦中・戦後・高度成長期」をテーマにした作品が増えていると思います。これは、「現在の日本人は、『物質的』豊かさだけが、『幸せ』なのではなく、『家族の絆』や『心』の大切さに、気付き始めている。」…という、証拠なのかもしれませんね。だから「戦中・戦後・高度成長期」の映画が必要とされ、人気が出ているのでしょうね。僕も含め、日本人はここにきて、大切な「何か」に気付き始めているのかもしれません……。だからこそ、日本の将来は明るいはずです!!…そうだと、信じています!!
いつまでも、「あの頃は良かった…。」と懐古的(回顧的?)になってばかりではいけませんが、当時の良かったところから、いろいろ学びとり、未来の日本に生かしていくことは、大事だと思います。
いや~、熱く、おもろい映画でした!!!
※「ALWAYS 中国の夕日」。
※「ALWAYS アメリカの夕日」。
※「ALWAYS ジャマイカの夕日」
※「Sometimes ホンジュラス・ろうそくの火」
注)ホンジュラスでは時々、停電になります(貧しい国なので、節電のため?写真は、電気会社に電線を切られた時のもの…)。
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こんにちは!新潟の里っちです。御無沙汰したました
ず~っとサインインが出来ずコメントできなかったんですが、もう違うアカウントを作ってしまう事にしました。
そんなもので自分のブログも編集も出来ず、放ったままです^^;
さて、前の記事でコメントされていた「ごんたさん」投稿の「カフェウェルチェスコーヒー」ですが、ホントに飲みやすく後味すっきりで美味しかったです!
前回当選して送ってもらったコーヒーを飲む時は「京都」とコラボレーションでしたが、今回は沖縄のお菓子「ちんすこう」とコラボレーションしたんですよ。
これがまた合いましてね~♪最高でしたわ~。ありがとうございました!!!!
さて、今回の記事でたくさん「笑顔」をいただきました(笑)
作文の話でおじいさんが「そんな事書きんさんなや」と言われたと。。。それをまた今ブログの記事で世界中に配信しちゃって。。。
大丈夫ですか?(笑)
色々と大変でしょうが、yojiさんの持ち前の明るさとポジティブな精神で突き進んでってくださいね!応援しています!!
では、また!
こんにちは(^▽^)/
その後、いかがお過ごしでしょうか?
荷物がとっても早く到着して、びっくりでしたね~。
今回の記事は、20代の人はこんな風に「三丁目に夕日」をみるんだなぁ。と
改めて、年とったなぁ。と感じました。私は、s40生まれです。
「三丁目の夕日」の頃はまだ生まれてはいませんが、バス通りに面した実家の前の道路の舗装工事。(それ以前は土でした)
水洗でないトイレ。五右衛門風呂。白黒TV。そういったものをうっすら覚えているので、ちょっと懐かしいんです。
ちなみに、「お国言葉」「お国自慢」という言い方。駿河の国とか、尾張の国とか、江戸時代には
それぞれの藩を「国」と呼んでましたでしょう?(私は子どもの頃、親と時代劇観てましたけど、Yojiさんは観ない世代なのよね、きっと(笑)
確かに、新幹線や飛行機で数時間もあれば日本中どこにでもいける今は使わないですよね~。
だから、Yojiさんの感想も当ってるとおもいました。改めて、新鮮でしたヨ。
里っちさん。
お久しぶりです!お元気ですか?サインインができなかったんですか!?僕のは大丈夫でしたが…。けど、今は問題無いようで何よりです!
カフェ・ウェルチェス…喜んでいただけたようで、僕も嬉しい限りです。「ちんすこう」とのコラボですか!?凄いコラボですね(笑)。おそらく、「カフェ・ウェルチェス」と「ちんすこう」をコラボさせたのは、日本広しと言えど、里っちさんしかいないと思います(笑)。それにしても、「お菓子」好きなんですね(笑)。
おじいちゃんのこと、世界に配信してしまって、大丈夫なんでしょうか?(笑)僕にも分かりません(笑)。内緒にしておきます(笑)。ただ、みなさんに笑っていただけるのなら、おじいちゃんも本望なはずです(けど、内緒です((笑)))。
応援ありがとうございます!!それでは、里っちさんもお元気で!!
ゆうゆうさん。
お久しぶりです!すっかり「スランプ」から脱したようで、僕としても嬉しい限りです(笑)。
「国」の由来…教えていただいて、誠にありがとうございます。「藩」のことを「国」と呼んでいたんですね!その名残が、昭和の始めまで、まだ残っていたとは…。驚きです。ちなみに時代劇は、ほとんど見ないですね。小さい頃、おばあちゃんと「暴れん坊将軍」と「暴れはっちゃく」のチャンネル争いをしていたほどです(笑)。チャンネル争いに負けて、おばあちゃんは「暴れん坊将軍」を見てましたが、僕は悔しくて見ませんでした(笑)。
ゆうゆうさんの頃は「白黒テレビ」だったんですか!?それはビックリです。世代の違いを感じました(笑)。五右衛門風呂は、僕が小さい頃も、家によっては有りましたね。ボロボロの道路は、中国やホンジュラスで見てきたのと、ゆうゆうさんの子供の頃のが、同じような感じかもしれませんね。
新幹線や飛行機が使えて便利になって、日本国内では、本当に距離を感じなくなりましたね。良いの悪いのか…??
コメントありがとうございますた!!