「3度目の正直」はあるのか!?


 

どうも!「日本→中国→アメリカ…」の第五弾です!もう少しで、今いる「ホンジュラス」に辿り着きます!

 

※前回記事は!⇒【久々の故郷は…】(☜)

 

「2005年1月」…。「3度目の渡米」の為、アメリカのマイアミ空港に上陸しました(当時「25歳」)。

 

 

3ヶ月のみの予定の日本滞在が、半年間以上の足止めをくらい、紆余曲折を経てのアメリカ上陸…。一時は諦めかけていた「3度目の渡米」…。ビザ無しとは言え、今、こうして再びプロにトライする為アメリカに降り立てた…という事が、まず何よりも嬉しかったです。マイアミ空港で、パームビーチ・プーマスの監督と久々に再会した時は、涙が出そうになりました。

 

 

…こうして、3度目のアメリカでの挑戦は始まりました。

 

 

※マイアミ空港で、プーマスの監督と再会!

 

 

当初、僕は「オープン・トライアウト」という、自分でプロチームに受験料を払い、トライアウトに参加させてもらうという、一般者向けのトライアウトに参加する気でいました。

しかし、プーマスの監督に相談したたところ「オープン・トライアウトは駄目だ。チームは受験料が目当てで、選手を真剣に見る気は無い。俺が直接プロチームに電話して、Yojiがプロチームに練習参加できるようにする。」と言われ、それまでは、PDLパームビーチ・プーマスの兄弟チーム「プーマス大学チーム」で、練習と試合を重ねる事になりました。

 

※試合風景と、試合前、ビーチでくつろぐYoji。

 

 

その頃、僕はこの監督の事を、全部ではないけど一応、信頼していました。

話だと「プロへの練習参加は2、3月。」という事で、それまではプーマス大学チームで、練習と公式戦に参加しまくりました。

この時、僕は本当に幸せを感じていました。

日本に居た約半年間はサッカーできず、1人で壁にボールを蹴ったり(これも親に怒られてできなくなった)、走り込みを行ったりする毎日でした。それが今は、例え大学チームとは言え、一緒に真剣にボールを蹴ったり、試合したりできる仲間が居る…。これがどれだけ幸せな事か、日本で半年間、サッカー環境を失った事で、改めて実感しました。そう考えると、あの日本での半年間も、無駄ではなかったと思います。

 

※プーマスのチームメイトと。

 

 

毎日の練習と毎週の試合(時には週3試合に出場する事もあった)を重ねる事で、半年間のブランクも感じさせないほど、自分のコンディションは上がっていきました。いや、むしろこの時の状態は、今までのサッカー人生の中でも最高とも言えるものでした。

「プロの練習参加に向けて、万全の調整ができている…」あとは、それを待つばかりです。

 

 

2月も後半にきました。プロの練習参加はまだ有りません。監督に聞くと「3月の始めに有る。」と言われました。

 

 

…3月も半ばにきました。まだ、プロの練習参加は有りません!再度、監督に聞くと「今度、遠征でニューヨークに行く事になった。そこでの試合にプロの監督・コーチが視察にくるから、Yojiはそこでアピールできる。」と言われました。「プロとの試合も有る。」との事です。

イライラする気持ちを我慢し、ひとまずその遠征に集中する事にしました。

 

 

そして「フロリダ→ニューヨーク(バージニアなども)遠征」。

フロリダからキャンピングカーとワゴンに乗って、2日間かけてニューヨークを目指す、アメリカ縦断の旅。ずーっと車での移動、しかも気候は全然違うし(フロリダは真夏、ニューヨークは真冬の気候)、試合に向けてのコンディション調整は、非常に難しい状況でした。

 

※ニューヨーク遠征スタート!!キャンピングカーに乗り込むYoji!!

 

※荷物を詰め込む選手達。いよいよ出発!!

 

 

それでも試合には何とかフィットさせ、ニューヨーク上陸後、最初に行われた試合では、凄く良いプレーをしました。しかし、それは大学チームとの試合で、僕にとってメインの「プロチームとの試合」ではありません。この試合後、監督は「あさってプロと試合する。」と言いました。

 

※やっとニューヨーク到着!!自由の女神!!

 

※キャンピングカー専用の駐車場。遠征中は、ここが僕達の「基地」になります!

 

※「基地」キャンピングカーの中で、試合後、ビールを飲んでくつろぐ選手達。ちなみに僕はビールが飲めません。

 

…そして「あさって」。またもどこかへ大移動して、ようやく試合会場に到着。監督は全員でのミーティングの際も「今日の試合はプロを目指すYojiにとって大事な試合になる。」と言っていました。

しかし、いつまでたってもプロチームはやって来ません!…結局、試合は中止になりました。つのる苛立ち…。

 

 

さらにはその後、予定されていた他のプロチームとの試合も全て中止となり、移動だけで往復3日間もかけてニューヨークに来たのに、わずか2試合(しかもプロチームじゃない)を行ったのみで、フロリダに帰る事となりました。

 

※ニューヨークの『タイムズ・スクウェアー』にて!!

 

苛立ちは募るばかりです。せっかくアメリカまで来て、コンディションも万全…けど、いつまでたっても「プロへのアピール」ができない!

 

ニューヨーク遠征で試合が中止になった事に関しても、監督から何も具体的な説明が無く、我慢できず監督と直接、話をする事にしました。

そこで監督は「確かにプロチームとの試合は中止になったが、行われた2試合に、プロのコーチは視察に来ていた。」と言いました。

さらに「3チームのコーチが全員、Yojiの事を評価していた。けど、2チームは『外国人のGKはいらない。』との事。しかし、もう1チームは、Yojiに興味を示している。」との事です…。

 

 

 よっしゃー!いよいよプロが近付いてきたー!!

 

 

…けど、さらに凄い展開が有りました。

 

 

監督は「ただ、そのプロチームはお勧めできない。給料も安い。それなら、俺が以前プレーしていたイングランドでプロになった方が良い。給料も良い。今度、イングランドに一緒に行くか?」と言いました。

 

 

…イングランド行き!?予想以上の展開です!

 

…しかし、今、目の前にこうしてアメリカで念願のプロになるチャンスが有る…。ただ、そのプロチームでプレーしても、監督が言うように、その先はあまり期待できない。プロになれるなら、もちろんイングランドの方が良い。けど、今、僕に興味を示しているアメリカのチームもプロには違いない…。

どっちを選ぶべきか…?悩みました。

 

 

 そして、いろいろ考えた結果「イングランドでプロを目指す!」事に決めました。

 

 

 「2005年3月」後半。

あの監督にしては珍しく「イングランド行き」が、予定通りやってきました(笑)。

けど、監督には渡英前こう言われました。

「実は今回、Yojiが練習参加に行くイングランドのプロチームのGKコーチは、5月に我がプーマスに臨時コーチとしてやって来る。その時、そのコーチがYojiを気に入れば、Yojiのイングランドでのプレーが実現する。だから、今回、無理してイングランドに行く必要はないぞ。ただ、もちろん今回行けば、そこでチーム関係者とも知り合えて、プロセスの第一歩になるから、良い事ではある。どうする?」

 

 

 

 僕は即答しました。

 

 

 

 「もちろん、行きます!」

 

 

 …こうして、初めての渡英…いや、初めての渡欧が実現しました!

 

 

 「日本→中国→アメリカ→ホンジュラス」なのに、なぜか「イングランド」が乱入…。

 

 

 
       つづく      YOJI

 

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